神田区須田町一丁目界隈【現存建物篇】
旧萬世橋駅およびその南西側一帯は、かつての神田區連雀町で、昭和8年 (1933年) 3月25日に帝都復興計画の一環で神田區須田町一丁目に編入されました。そして、昭和22年 (1947年) 3月15日の千代田区成立により神田須田町1丁目に改称されました。住居表示未実施のため、現在の番地は昭和8年制定のものになります。
この一帯は昭和20年 (1945年) 3月10日の米軍による空襲(00:15空襲警報発令、02:37解除)で焼け残りました。これは神田川・JR中央線、外堀通り(東京都道405号外濠環状線)、靖国通り(東京都道302号新宿両国線・東京都市計画道路幹線街路放射第15号線)が防火帯になったことと、当時の風向きによるものと考えられています。
靖国通りと旧萬世橋駅前の道(千代田区特別区道千第575号)の分岐点に大正15年 (1926年) 建築の神田まつや本店(明治17年創業)があります。暖簾には変体仮名で「生楚者゙ 」と書かれています。
まつやの斜向かいには、昭和3年 (1928年) 建築の木造3階建の山本齒科醫院(明治30年開院)があります。冒頭の住所表示板と、"專用 16985 神田區"と書かれた東京市水道局のプレートが残っています。
山本齒科醫院の並びの万世橋駅前には、大正末期に建てられたギャンブレル屋根の銅板建築である裏地ボタン卸店の池田屋・柏山邸がありましたが、2012年10月に解体されました。
北側に平行の街路(千代田区特別区道千第567号)に、昭和5年 (1930年) 建築・創業の竹むらがあります。看板には「おしる古 竹むら」、吊り行灯には「竹邑」「志る古」と書かれています。
竹むらの向かいには、昭和7年 (1932年) 建築のあんこう料理のいせ源本店(天保元年創業)があります。吊り行灯には「名代 阿ん古う鍋 以せ源」「御手軽料理」と書かれています。
いせ源の隣には、築約100年の看板建築があり、やきとりハローと居酒屋けむりが盛業中です。その斜向かいには昭和初期建築の山田歯科医院があります。十字路側が住居で、隣が医院となっています。
山田歯科医院の向かいには昭和4年 (1929年) 建築の木造一部RC造のぼたん(明治30年頃創業)があります。吊り行灯と電柱看板には「ぼ多ん」と書かれ、電柱看板には鳥の草書体も入っています。
山田歯科医院の2軒隣には昭和3年建築の銅板貼り看板建築が建っています。右側にはアナンダ工房神田須田店が営業していて、2階のファサードには建物に合わせた装飾がなされています。
この看板建築の並びの六文そばの建物も戦前の建築のように見受けられます。この六文そばの交差点は五叉路となっていて、変形の指定方向外進行禁止標識が建っています。
本記事中の建物のうち、山本齒科醫院は2005年2月9日に登録有形文化財(建造物)に登録、神田まつや、いせ源、竹むら、ぼたんの4件は2001年3月9日付で東京都選定歴史的建造物に選定されています。同時にこれらの5件は2003年6月9日に千代田区の景観まちづくり重要物件にも指定されています。
(移築建物篇へ)
- 【関連記事】
- 円山町花柳街の面影 (2022.10.03)
- 三軒茶屋の銅板貼り看板建築 (2022.09.25)
- 池尻稲荷神社と大山道 (2022.09.24) : 出桁造
- 向ヶ丘遊園駅舎 (2017.10.10)
- 道玄坂の看板建築 (2015.02.05)
- 渋谷町水道の水止栓 (2014.12.27)(看板建築あり)
- 六郷用水物語 (2013.02.09) : 厨子二階出桁造
- 旧万世橋駅前の逓信省マンホール (2014.03.17)
| 固定リンク
「 近代建築」カテゴリの記事
- 東京の2桁市内局番【9】(2023.12.05)
- 東京の2桁市内局番【8】(2023.12.01)
- 松原町の逓信省境界標(2023.11.14)
- 東京の2桁市内局番【4】(2023.10.30)
- 東京の2桁市内局番【3】(2023.10.29)
「 標識・道標」カテゴリの記事
- 滝坂道 大石橋の日本廻国供養之石塔(2023.02.01)
- 玉電宮ノ坂駅(2022.12.08)
- 二本榎から伊皿子経由聖坂(2022.11.03)
- 環状6.5号線供用開始(2022.10.27)
- 高輪虎屋と天神坂(2022.10.28)
「 旧町名」カテゴリの記事
- 府中に残る関東配電の銘板(2024.09.11)
- 世田谷郵便局の西進(2023.12.23)
- 東京の2桁市内局番【9】(2023.12.05)
- 松原町の逓信省境界標(2023.11.14)
- 東京の2桁市内局番【5】(2023.10.31)