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三光豊沢商店街

商店街

白金北里通り(東京都道305号芝新宿王子線・東京都市計画道路幹線街路補助線街路第11号線)の恵比寿三丁目交差点から北里大学までの間は、かつて三光豊澤商店街と呼ばれていました。この商店街は米軍の空襲による焼失を免れたため、大正から昭和初期にかけての文化遺産がいくつか残っています。

出桁造

恵比寿三丁目交差点近くには昭和初期建築の出桁造の5軒長屋の商家が建っていて、古民家バーきえん、洋食ハチロー 、カフェTenement、アド書房が盛業中です。この建物と東隣の建物との間が渋谷区と港区の区界で、この建物より西はかつての澁谷区豊澤町(街路に面している場所は恵比寿通一丁目)でした。

プレート

一番西側のきえん入口の長押にはいくつかの小型プレートが貼られています。東京市水道局のものには"專用 3113 澁谷區"、関東配電のものには"69 78 澁谷"と書かれています。東京市水道局の上のプレートは、その形状や「人會員」の文字がかろうじて読み取れることから愛國婦人會のプレートと考えられます。

出桁造

この並びの港区側には大正7年 (1919年) 築の出桁造の商家が建っています。1階の欄間には銅板がはめ込まれていて、1階横には正八角形の窓があります。右側の2階の雨戸の戸袋には銅板が貼られています。元々は金物屋で、2018年3月まできえんの系列であるきえんきえらが入っていました。

看板建築 看板建築

東隣には2軒長屋の看板建築が2棟並んでいて、星野屋酒店、中華料理老饕檯、居酒屋鳥平が盛業中です。2棟ともファサードの装飾が凝っていて、星野屋のパラペットには瓢箪が描かれています。

看板建築 看板建築

街路の南側には昭和10年 (1935年) 築の清水畳店があり、その東隣には裁縫用品のかずさやと和食店古川おもてなしが入った昭和初期築と見受けられる4軒長屋が建っています。

看板建築 看板建築

神応小学校前信号の南側には大久保だんごと川越屋豆腐店の看板建築が建っています。その東にも2軒長屋の看板建築がありましたが、右側のものは2016年に改築されました。

銘板 国旗掲揚塔

向かいの三越湯の脇の道路には昭和12年 (1937年) に建立された国旗掲揚塔が建っています。銘板には「國威宣揚 三光協和會 昭和十二年十一月三日建之」と書かれています。

看板建築 看板建築

国旗掲揚塔から東にある看板建築は簡素なファサードや妻入屋根といった戦後の看板建築の特徴を有しているものがほとんどです。掲揚塔脇の野沢屋は平入屋根ですが、戦後の建築と見受けられます。

旧町名 山門

この通り沿いの日蓮宗金峯山本妙寺の山門には「港區芝白金三光町101番地」入りの表札が掲げられています。この表札は昭和44年 (1969年) 1月1日の住居表示実施前のものです。

坂 標識

白金北里通りから白金台の台地上に上る坂の1つに、旧町名が入った三光坂があります。この坂の勾配は10%と比較的急勾配で、坂下には上り急勾配ありの警戒標識が建っています。

出桁造

白金高輪駅近くにも昭和初期のものと思しき出桁造の仕舞屋が1軒だけ建っています。

2022年7月25日からこの区間の幅員を11mから20mに拡幅する事業が始まりました。事業期間は2031年度までで、これにより大正から昭和初期の文化遺産が消滅してしまう可能性が高いです。

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