津國屋と逓信省のマンホール
建物の2階部分は銅板貼りになっています。ところが、銅板貼りの建築は大正12年 (1923年) 9月1日の関東大震災からの震災復興期に木造建築の防火性向上のために数多く建てられています。銅板は大正末期から昭和初期にかけての時期に貼られた可能性があります。西側のモルタル造の部分は戦後の増築のようです。
扁額には屋号の「津國屋酒店」と「電話芝二〇七二番」が書かれています。大正15年 (1926年) に東京市内の電話が自動化され、芝局の市内局番は43、津國屋の電話番号は高輪44-2072になりました。扁額にこれらの市内局番が書かれていないことから、大正15年以前に作られた扁額と考えられます。
津國屋の向かい側の歩道上に逓信省のマンホールが残っています。蓋はサイズが 60 cm × 60 cm の鉄製角型2枚組で、中央には逓信省徽章である〒マークがあり、地紋は定番の菱形紋様です。周囲には縁石が付いています。この鉄蓋は旧文部省庁舎前の逓信省鉄蓋と同し形状のものです。
この場所に、逓信省の大型マンホールがあるのは、津國屋の脇を通る綱坂を上ったところに逓信省簡易保険局庁舎があり、他にも慶應義塾や三井家綱町別邸など大口の需用家が一帯に存在したからと考えられます。津國屋の電話もここから引き込んでいたのかもしれません。
- 【参考文献】
- "自働式電話交換の實施", 官報, 第3868號, p.2(大正14年7月15日)
- 東亰中央電話局 『昭和二年十月一日現在 東亰電話畨號簿』 昭和3年2月5日
- 芝地区総合支所 『芝地区の地図(大正10年)』
- 高輪地区総合支所 『旧町名由来板 三田台公園(三田4丁目17番28号)』
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