高輪消防署二本榎出張所
東京都選定歴史的建造物
東京消防庁 高輪消防署 二本榎出張所
- 所在地
- 港区高輪二丁目6番17号
- 設計者
- 越智 操
- 建築年
- 昭和8年 (1933)
明治41年7月1日、第二消防署二本榎派出所として発足、昭和8年112月28日に現庁舎が竣工した。
建物は、鉄筋コンクリート造りの地上3階建てで、海抜約25メートルの位置にあり、当時は周囲に高い建物もなく、東京湾を眼下に眺望できた。
1階の腰壁は御影石(花崗岩)の切り出し積みで、ひさしや窓台は左官洗い出し仕上げとなっている。また、外壁はクリーム色の磁器タイルで覆われ、玄関部分はすべて御影石で造られており、扉は木製となっている。
3階の円形講堂は8本の梁が中心に集まり、10個の窓部アーチと一帯になった独特の意匠である。
第一次世界大戦後の近代的なドイツ表現主義という建築様式で、曲線と曲面をモチーフとした力強く流れるような躍動感のあるデザインを特徴としている。
3階から上は円筒形の望楼となっており、昭和46年まで火災の見張りに使用されていた。
解説板の近くの歩道上には、消火活動をしている2人の消防士が描かれたカラーの消火栓蓋があります。このタイプの蓋はこの辺りのタイル舗装されている歩道上の数箇所に設置されています。
二本榎通りを200mほど南下した所の品93系統・目黒駅前行とちぃばす高輪ルート・浅草線三田駅前行の高輪三丁目バス停手前の歩道上には、同じ絵柄の消火栓区画量水器も設置されています。
二本榎出張所や二本榎通りに使われている「二本榎」はこの辺りの地名で、町名としては芝二本榎一丁目・二丁目、芝二本榎本町、芝二本榎西町(明治44年5月1日~昭和22年3月14日は「芝」の冠称なし)がありました。二本榎出張所向かいの高輪一丁目緑地に「二本榎の由来」が建っています。
二本榎の由来
その昔、江戸時代に東海道を日本橋からきて品川宿の手前、右側の小高い丘陵地帯を「高縄手」と呼んでいましたが、そこにある寺に大木の榎が二本あって、旅人のよき目標になっていたそうです。
誰いうとなくこの榎を「二本榎」と呼ぶようになりました。
それがそのまま「二本榎」(にほんえのき)という地名になって続き、榎が枯れた後でも地名だけは残りました。
戦後、地番変更で高輪何丁目などと地名は変わりましたが、「榎」は幾度となく新植・移植が行われ、町の大切な象徴になっております。平成十七年(二〇〇五年)十二月 港区
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