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東京市の混凝土製弁蓋と狸橋

古川 橋

狸橋は古川(二級河川古川水系本流)最上流の橋で、天現寺橋の下流に架かっています。現在の橋は1978年9月に竣工し、同時に橋の南詰に由来碑が建立されました。

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輜重兵第一連隊の境界標

境界標 地図

上目黒氷川神社の裏手はかつて第一師團輜重兵第一聯隊の衛戍地で、境内社(末社)である氷川稲荷大明神の裏にある「陸軍省所」と刻印された境界標石は今でも残っています。

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騎兵山の騎兵第一連隊の痕跡

地図

明治24年 (1891年) 、現在の世田谷区池尻4丁目に第一師團騎兵第一大隊が置かれました。明治29年11月21日に騎兵第一聯隊に昇格、昭和15年 (1940年) に捜索第一聯隊に改編され、軍旗を奉還しました。騎兵第一聯隊の衛戍地は淀橋台南端の高台であることから、騎兵山と呼ばれています。

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巣鴨町の境界標と東京市の排気弇

旧町名

現在の巣鴨地蔵通商店街(旧中山道・豊島区特別区道32-180)沿道はかつての北豐島郡巢鴨町大字巢鴨二丁目~巢鴨四丁目でした。現在の巣鴨4丁目地内に当時の表札が残っています。表札に書かれている「巢鴨町四丁目」は、大字巢鴨四丁目を巢鴨町大字巢鴨字四丁目と解釈した表記ゆれによると考えられます。

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東京府道22号芝溝線

地図

東京府道22號芝溝線は、大正9年 (1920年) 4月1日付の東京府告示第162號で認定された東京市芝區三田四丁目東京府道18號芝下大崎線から分岐し、神奈川縣高座郡溝村に至る府縣道でした。

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野砲兵第一連隊の兵営と境界標

地図

明治31年 (1898年) に近衛野砲聯隊と野砲兵第一聯隊、翌年に近衞師團野戰重砲兵第四旅團司令部と野戰重砲兵第八聯隊が、駒澤練兵場の西側の駒澤村大字下馬引澤字原と字中原、駒澤村大字上馬引澤字伊勢丸、世田谷村大字太子堂字大塚と大字三宿字南宿にまたがる一帯に創設されました。

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東京府の境界標石と2つの地蔵尊

境界標石

淡島通り(東京都道423号渋谷経堂線・東京都市計画道路幹線街路補助線街路第52号線)は、東京都市計画道路補助線道路第27号線として昭和15年 (1940年) 頃に東京府の手で拡幅・整備されました。この時に設置された東京府の府章入りの境界標石が世田谷区代沢1丁目の元精肉店の脇に残っています。

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渋谷区元広尾町

町名表示板 看板建築

現在の広尾商店街一帯はかつての澁谷區元廣尾町でした。この広尾商店街にある戦前に建てられた十字型看板建築のみどりや美容室に元廣尾町の琺瑯製住所表示板が残っています。

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白亜荘と田中吉左衛門商店

白亜荘

港区南麻布2丁目の麻布通り(東京都道415号高輪麻布線・東京都市計画道路幹線街路放射1号線)から西に入ると、戦前の建築である木造2階建の白亞荘が建っています。屋根は入母屋造に似た形状の錣屋根(しころやね)で、外壁にはスクラッチタイルが貼られています。

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二本榎から伊皿子経由聖坂

標識 風景

高輪虎屋と都営高輪一丁目アパートの間の道は葭見坂(港区特別区道第306号線)で、途中の幅員が2m程度になります。このため、二本榎通り側には幅員減少の警戒標識が建っています。

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令和元年の二本榎の街並み

薬医門

二本榎の町々は、味の素高輪研修センター付近から天神坂までの二本榎通り(港区特別区道第1024号線・東京都市計画道路幹線街路補助線街路第14号線)沿いに存立し、かつては芝區に属していました。研修センターは味の素創業者である鈴木三郎助氏の私邸跡で、昭和7年 (1932年) 築の薬医門が残っています。

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