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二本榎から伊皿子経由聖坂

標識 風景

高輪虎屋と都営高輪一丁目アパートの間の道は葭見坂(港区特別区道第306号線)で、途中の幅員が2m程度になります。このため、二本榎通り側には幅員減少の警戒標識が建っています。

石碑

都営高輪一丁目アパートは肥後国熊本藩細川家下屋敷跡地の一部です。元禄15年12月14日 (1703年1月30日) の赤穂事件で、大石内蔵助以下17名が細川家に預けられ、元禄16年2月4日 (1703年3月20日) に幕府の名により下屋敷内で切腹しました。都営住宅の入口には「大石良雄等自刃ノ跡」の石碑が建っています。

皇族邸

高輪皇族邸も細川家下屋敷跡地の一部です。明治24年 (1891年) に明治天皇皇女の住まいに定められ、大正2年 (1913年) から13年までは皇太子裕仁親王の東宮御所、昭和6年 (1931年) から2004年までは高松宮邸でした。そして、2020年3月31日から2022年4月12日までは太上天皇の仙洞仮御所になりました。

看板建築 建物

高輪皇族邸の向いには大正14年 (1925年) 築の堀江歯科医院があります。その隣に昭和初期の平屋建看板建築の理容室スマイルがありましたが、2020年3月の時点で解体されていました。

伊皿子町の表札 建物

高輪皇族邸の並びには大正7年 (1918年) 創業の和菓子店「松島屋」があります。その隣に建っている門柱と思しき石柱には「芝區伊皿子町八番地」と刻まれている石の表札が残っています。

看板建築

二本榎通りと東京都道415号高輪麻布線が交差する伊皿子交差点近くに平入屋根の看板建築である宮島果王店が建っています。その隣には銅板貼りと見受けられる看板建築のパネーラ木村屋(パン屋)がありましたが、2020年1月に解体され、5階建賃貸マンション「パネーラ伊皿子」になりました。

二本榎通り(港区特別区道第1024号線・東京都市計画道路幹線街路補助線街路第14号線)は、伊皿子交差点より北では街路名が聖坂に変わります。坂上と坂下には港区が設置した聖坂の由来碑が建っています。

聖坂

古代中世の通行路で、商人を兼ねた高野山の僧(高野聖)が開き、その宿所もあったためという。竹芝の坂とよんだという説もある。

教会

伊皿子交差点近くにはプロテスタント系クエーカーのキリスト友会東京月会があり、その敷地内に大正11年 (1922年) 築の木造2階建のフレンズセンターがあります。フレンズセンターは昭和5年 (1930年) に地下室が増築され、2005年12月26日付で登録有形文化財(建造物)に登録されました。

塀

街路の海側には華頂宮邸の旧庭園の一部である港区立三田台公園と亀塚公園があります。華頂宮は慶応4年 (1868年) に伏見宮から分家する形で創設されましたが、直系男子以外の継承を禁ずる皇室典範準則の適用により大正13年 (1924年) に宮家は断絶しました。2つの公園に建つ土塀は華頂宮邸時代の遺構です。

ビル

聖坂の中腹には一級建築士が2005年から自力で建設している蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)があり、17年経った今でも建設中です。ところが、敷地が三田三・四丁目地区市街地再開発区域に絡んでいるため、曳家される予定となっています。

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