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野砲兵第一連隊の兵営と境界標

地図

明治31年 (1898年) に近衛野砲聯隊と野砲兵第一聯隊、翌年に近衞師團野戰重砲兵第四旅團司令部と野戰重砲兵第八聯隊が、駒澤練兵場の西側の駒澤村大字下馬引澤字原と字中原、駒澤村大字上馬引澤字伊勢丸、世田谷村大字太子堂字大塚と大字三宿字南宿にまたがる一帯に創設されました。

兵舎 兵舎

世田谷区下馬2丁目に野砲兵第一聯隊の兵舎が1棟残っています。建物の西側半分は在日本韓國民団が東京世田谷韓國会館として使用していて、この部分の外壁等には手が加えられています。

兵舎 兵舎

2016年時点での東側半分は劣化・破損しているとはいえ、ほぼ原型のままと云える状況でした.。ところがその後、窓が板で塞がれてしまいました。壁面の丸孔は暖房用煙突の貫通孔です。

兵舎 兵舎

東側の妻面には2つのシャッター付の掃き出し窓がありますが、これは後年の造作と考えられます。また、土台が煉瓦になっていることから、この兵舎が明治期のものであることを示唆しています。

営門跡

この近くにある弘善湯脇にほぼY字型の変形四叉路があります。これにつながる道のうち、括れている道が野砲兵第一聯隊の営門跡になります。営門前を横切っている道はかつての東京府道22号芝溝線で、兵営の西側から南側にかけての外周に添うように通っていました。

境界標 境界標

兵営南東部の府道22号芝溝線の道沿いに野砲兵第一聯隊の境界標が2つ残っています。そのうちの1つには「陸軍用」と刻まれているので、その下に「地」が埋もれているようです。

境界標

そこから10mほど離れたところにもう1つがあります。こちらは風化していて文字が判読できませんが、建っている場所や同じ材質であることから、同型の境界標であると考えられます。

【参考文献】
東京府土木部 『東京府道路槪要』 昭和7年7月
森安彦、三田義春 『世田谷の地名(上)』 昭和59年3月10日
世田谷区立郷土資料館 『地図で見る世田谷』 2017年10月28日
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