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神宮外苑の阻水弇

並木 案内図

東京都道414号四谷角筈線支線(神宮外苑環状部南~青山二丁目交差点)の沿道は大正12年 (1923年) に植栽されたイチョウ並木で、雄木44本、雌木102本の計146本が植えられています。

並木 石碑

神宮外苑は青山練兵場の跡地に造営され、大正15年 (1926年) 10月に竣工しました。外苑造営の由来について記された「明治神宮外苑之記」の石碑が青山二丁目交差点付近に建っています。

朙治神宮外苑㞢記

明治神宮奉賛會總裁元帥陸軍大將大勳位功二級載仁親王篆額

明治四十五年七月明治天皇遽に不豫にましまし尋で大漸に渡らせらるゝや上下憂懼措く所を知らず二重橋外日夜を連ね市民の沙上に拜跪して御平癒を祈る者萬を以て數ふ其の三十日遂に崩御あらぜらるゝに及び億兆悲慟天地爲に黯澹たり八月乃初め東京市民は葵藿向日の至誠を披瀝し山陵の地を帝都に卜せられんことを内願す其の桃山に決定せらるゝに及ひ更に神宮の奉祀を懇請し帝国議會も亦其の議を決せり是に於て政府は神社奉祀調査會を置き委員を擧けて審議せしめ神宮鎭座の地を郊外代々木に相せり大正三年四月昭憲皇太后崩御あらせらるゝに及び合祀の事を治定あらせられ明治神宮造營局を置き社殿を營ませ給ふ然れども國民孺慕の心は之を以て足れりとせず明治神宮奉賛會を興し神宮外苑を設け以て記念の事業を永遠に遺さんとす事 天聽に達し畏くも御内帑金三十萬円を賜ふ天下翕然として貲を献じ遠く海外に在る者亦爭ひて之を贊く是に於て衆議舊青山練兵場を以て外苑の地に擬定す蓋し此の地は大帝屢觀兵の式を行はせられ彼の憲法發布の慶典及び日露戰役の凱旋に當りて其の儀特に嚴肅を極めさせられたる遺躅を留め且つ大葬に際しては亦實に葬場殿を置き給ひし所なるを以てなり奉賛會は先づ政府より此の地の提供を受け進みて隣接の地を購ひ合せて十五万五千坪を得たり乃ち工事を造營局に託して地域を修治し林泉を布置し葬場殿の故址は樹を植ゑて之を標す其の前方に聖德記念繪畫館を建て大帝竝に皇太后御一代の重要なる御事蹟に關する畫幀八十を館中に掲ぐ多くは御事蹟に緣故ある縉紳若くは公私團體等の献納に係り當代名家の手に成れるものなり苑の東邊に憲法記念館を置く館は原と赤坂假皇居に在り大帝親臨して帝国憲法及ひ皇室典範制定の議を重ね給ひし所にして公爵伊藤博文に賜ひしものなり苑ノ西邉に競技場野球塲相撲塲等を設く起工以來十閲年其の間總裁伏見宮貞愛親王殿下薨去あらせられ閑院宮載仁親王殿下後を承けて此の事業を完くし給へり而して國民上下洪恩の萬一に報い奉らんとし至情の溢るゝ所或は勞役に服し或は貲財を献じ但後れんことを是れ懼れ人をして遠く仁德天皇の古を想見せしむるものあり嗚呼大帝の盛德大業は誰か仰ぎ奉らざらん皇太后の淑範懿行は誰か慕ひ奉らざらん今此の苑の設け一に仰慕の微意を寓せり若し夫れ今後来りて神宮を拝するもの内苑の崇高森嚴なるには俯仰の間肅然として威靈の尊きを感し外苑の曠遠開豁なるには優游の中穆然として恩德の深きを思ふものあらん内外兩苑相須ちて神域の規模是れ備はり神人相和して國運愈隆昌なるを致すに至らん玆に外苑工亊全く竣り之を神宮に奉獻するに当り亊の顛末を略敘して後人に告ぐと云爾

大正十五年十月 明治神宮奉賛會會長正二位勳一等公爵德川家達撰 從六位勲六等林經明書 野村保泉鐫

国旗掲揚塔 絵画館

正面の聖徳記念絵画館は明治天皇と昭憲皇太后の御事蹟を永く後世に伝える壁画を展示する目的で大正15年10月22日に開館しました。絵画館前庭には国旗掲揚塔と2頭の一角獣の像があります。

ヒトツバタゴ 黒松

前庭の両翼に御鷹の松(黒松)となんじゃもんじゃ(ヒトツバタゴ)の木が植えられています。現在の木はともに三代目で、黒松は1979年、ヒトツバタゴは2016年に植栽されました。

御鷹乃松

澁澤榮一書 時年八十又七

此の松昔は霞の松とて名髙く徳川三代将軍放鷹のをり樹下に憩ひて鷹の名をそのまゝ遊女の松と呼ばれしが又御鷹の松とも稱するに至れり当時の古松は枯れてこれは二代目なりと云ふ元は北方五十間の地境妙寺境内に在りしを大正八年此處に移植したり

大正十五年七月 明治神宮奉賛会

名木ひとつばたご

阪谷芳郎書

此の樹は古くより青山六道の辻に在りて俗に六道木又ナンジヤモンジヤとも呼べり吾邦に稀なるものとて植物學者の注目する所となり舊時の位置をそのまゝに維持し來り大正十三年天然記念物に指定せられたるものなり

大正十五年七月 明治神宮奉賛會

右原樹は昭和八年枯死したるにより甞て其樹より根分けして育てたるを昭和九年十一月植ゑ繼ぐ

標石

お鷹の松の裏には、外苑創設に際し樺太廳から寄贈された樺太島日露國境天測標の模造品があります。標石の一面には菊花紋章と「大日本帝國」「境界」の文字、裏面にはロシア帝国の双頭鷲紋章と"РОССІЯ"、"1906 РАНИЦА"の文字、それぞれの側面には「天第四號 明治三十九年」、"АСТР"の文字が刻まれています。

風景 阻水弇

絵画館前庭の中央付近に東京市水道局の阻水弇があります。前庭は駐車場として使用されており、この日は駐車していた車の下になっていたため斜めから撮影しています。

神宮球場 阻水弇

明治神宫野球場の正面入口付近の一塁側内野席の下にも東京市水道局の阻水弇があります。野球場は大正15年10月23日に開場していますので、2枚とも竣工時に設置されたと考えられます。

並木

なお、聖徳記念絵画館は2011年6月20日付で国の重要文化財(建造物)に指定されました。

※ 碑文中の変体仮名は現代の仮名に書き換えました。

【参考文献】
藤井眞透(神宮造營局技師): "明治神宫外苑工事に就て", 土木建築工事畫法, 第1巻第7号, pp.3-14(大正14年8月)
小林政一(明治神宮造營局技師): "明治神宮外苑野球場の設計", 土木建築工事畫法, 第2巻第2号, pp.13-17(大正15年2月)
小林政一(東京高等工業學校): "聖徳記念繪畫館工事に就て", 土木建築工事畫法, 第2巻第12号, pp.5-14(大正15年12月)
磯ヶ谷紫江 『墓碑史蹟硏究 第六巻』 昭和3年11月2日
渋沢青淵記念財団竜門社編 『渋沢栄一伝記資料 第41巻』
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