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三宿町の東京府道43号と萩原家住宅

旧町名 地図

東京府道43號世田谷代々幡線は現在の東京都道420号鮫洲大山線とほぼ同じ経路ですが、世田谷區三宿町内では東京府荏原郡第二荏原尋常小学校世田谷中学の間を通る経路でした。

住宅 府道43号

世田谷中学の裏には大正13年築の萩原家住宅が建っています。玄関脇には「世田谷區三宿町九三畨地」の琺瑯製住所表示板が掲げられ、世田谷区教育委員会による解説板が建っています。

登録文化財 萩原家住宅

所在地
世田谷区三宿一丁目十五番二号
登録年月日
平成十二年二月十五日
登録番号
一三-〇〇七五
登録基準
登録有形文化財登録基準の二「造形の規範となっているもの」
構造及形式
木造二階建、建築面積九八平方メートル
建築年代
大正十三年

この住宅は大正から昭和初期に活躍した、日本を代表する建築家である遠藤 新(一八八九~一九五一)によって設計された。遠藤は建築家F・L・ライトに師事、帝国ホテルの設計に携わったほか、ライトとの共同設計で目白の自由学園明日館、芦屋市の旧山邑家住宅(いずれも重要文化財)などを手掛けた

萩原家住宅は木造二階建で、二階部分は昭和九年頃の増築である。当初はこの二階部分が露台となっていた。外観は水平を強調し、外部に対して圧迫感を与えない意匠としている。平面構成は遠藤の提言する一文字型に、書斎を繋げたT字型をしている。各部屋は廊下を介さず連続して配置される。繋がれた書斎に至る廊下もまた、玄関ホールとしての役割を兼ねる。このような平面構成は遠藤の住宅に多くみられ、独特の空間構成といえる。この住宅では一文字に配された各部屋上部を一間幅の一段高くした天井とし、通風に配慮しているのが特徴である。

平成三年には復元補修工事が行われ、戦後改造された部分を撤去し、旧状に復した。また、書斎の遠藤設計による本棚や家具類も当時のままの姿で保存されており貴重である。

平成十二年九月 世田谷区教育委員会

旧町名 旧町名

当時、府道43號が三宿町内のメインストリートでした。このため、沿道やその裏手には古くからある民家が多く、その中には旧町名を掲げた家が幾つか残っています。

石碑 橋

府道43號は多聞寺橋南詰で都道420号に合流します。多聞寺は淸水山天王院と称し、毘沙門天(多聞天)を本尊とした曹洞宗寺院でしたが、明治初期の廃仏毀釈の余波を受けて廃寺となりました。

府道跡 神社

その跡地に三宿神社が明治18年に建立されました。大正10年に府道指定された時点の府道43號の経路は、多聞寺橋北詰から三宿神社に至り、神社の西側から崖に沿って北上していました。

府道跡 新道と旧道

昭和8年1月9日の多聞尋常小学校開校に先立ち、多聞寺橋から小学校までの現道の切通しが開削されました。後に旧道は廃道(時期は不詳)になり、三宿神社の境内に繰り込まれました。

府道 府道

小学校の場所には文明年間 (1469~1486年) に多聞寺砦(三宿城)が築かれたと云われています。ここから北側に下ると府道43號は滝坂道(東京府道23號調布澁谷線)に合流します。

【参考文献】
『大日本名所圖會第88編 東京近郊名所圖會第13巻』明治44年6月20日
東京府土木部『東京府道󠄁路槪要』昭和7年7月
森安彦、三田義春 『世田谷の地名(上)』昭和59年3月10日
世田谷区『ふるさと世田谷を語る 池尻・三宿・太子堂・若林・三軒茶屋』平成12年12月
世田谷区立郷土資料館『地図で見る世田谷』2017年10月28日
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