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東京市電角筈線の専用軌道跡

地図 路線図

大正3年 (1914) 5月7日に東京市電角筈線東大久保~角筈 (新宿) 間が専用軌道で開業し、途中に天神前、前田甫、新田裏、北裏通の電停が設けられました。天神前~新田裏間は蟹川に沿っていました。

風景 境界標石

東大久保電停から専用軌道になり蟹川の谷に下る途中の東側に「境界石標」と刻まれた東京市電氣局の境界標石が建っています。標石のある側の建物は撮影時のものから建て直されています。

風景 境界標石

この境界標石の反対側になる専用軌道の西側擁壁の下に、東京市電氣局の局章が刻まれた境界標石が埋められています。これは蟹川沿いの民地との境界を示しているものになります。

風景 風景

坂の下から線路敷の西側を蟹川が並走します。カーブの先の十字路には天神前電停がありました。この電停は一旦廃止され、昭和7年頃に西向天神前として復活し、戦時中に廃止されました。

風景 境界標石

天神前電停の角筈方の西側にも東京市電氣局の境界標石が建っています。上面には局章、前面には「東京市電氣局」と刻まれています。裏面には「境界石標」と刻まれていると思われます。

風景 風景

冒頭の大正15年6月の地形図で前田甫と書かれている空白部分に大久保車庫が開設され、大久保車庫前電停が設けられました。このときに天神前電停が廃止されたと考えられます。

角筈線廃止後、車庫の出入庫線側は都営住宅東大久保一丁目アパート、検車庫側は新宿区立新宿文化センターになりました。大久保車庫前電停の80mほど西に前田甫(前田圃)電停がありましたが、大正11年2月20日に廃止されました。

風景 電停跡

新田裏電停は現在の四季の路の北側入口付近にありました。ここで蟹川と別れます。昭和8年に明治通りが開通したことに伴い、新田裏電停は新宿六丁目交差点東側に移設されました。

風景 電停跡

角筈線の廃止後、この区間の専用軌道は遊歩道「四季の路」として整備されました。この遊歩道の靖国通り側出口付近に北裏通電停がありましたが、大正11年2月20日に廃止されました。

路線図

北裏通りとは現在の靖国通りのことで、青梅街道筋になる現在の新宿通りがメインの街路でした。角筈線は現在の紀伊国屋書店の西側の路地を通り、青梅街道に面して角筈電停が設けられました。青梅街道上の市電新宿線とは線路はつながっていましたが、新宿車庫への出入庫以外の乗り入れはしていませんでした。

地図

昭和23年12月25日に旧北裏通~新田裏が四谷三光町経由に変更され、旧線は昭和24年4月1日に大久保車庫への回送線となりました。この時点では角筈方面や回送線との分岐点に電停は設けられませんでしたが、米軍の空襲で焼失した新宿車庫からこの場所に移転してきた新宿営業所で出入庫車を操車していました。

系統図

昭和28年6月1日に角筈がかつての北裏通電停の位置、即ち回送線との分岐点である新宿区役所前交差点に移設され、都電新宿線新宿駅前電停に乗り入れるようになりました。これに伴い靖国通り以南が廃止されました。そして、昭和45年 (1970) 3月27日に角筈線と新宿線は全廃されました。

本記事中の東京市電の路線データ
線名 区間 開業 廃止
角筈線 飯田橋~焼餅坂 T01.12.28 S45.03.27
焼餅坂~若松町 T02.06.06
若松町~東大久保 T02.12.29
東大久保~北裏通 T03.05.07
北裏通~角筈 T03.05.07 S28.06.01
新田裏~四谷三光町~(北裏通) S23.12.25 S45.03.27
新宿線 半蔵門~新宿三丁目 M36.12.29 S45.03.27
新宿三丁目~新宿驛前 M36.12.29 S24.04.01
新宿三丁目~四谷三光町 S24.04.01 S45.03.27
(北裏通)~新宿駅前
【参考文献】
読賣新聞社 『東京市電車運轉系統圖』 大正9年1月1日
『チエースト社東京全圖』 大正9年1月17日
東京市電氣局 『創業二十年史』 昭和6年5月15日
東京市電氣局 『電氣局三十年史』 昭和15年12月28日
『東京都区分地圖帖』 昭和26年2月
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