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駒澤村大字世田ヶ谷新町

旧町名

明治22年 (1889年) 5月1日の町村制施行に伴い、下馬引澤村、上馬引澤村、野澤村、世田ヶ谷新町村の全域と深澤村、世田ヶ谷村、弦巻村、下野毛村の一部をもって駒澤村が誕生しました。世田谷区新町2丁目にある家岳山善養院の本堂の脇に「東京府荏󠄂原郡駒澤村大字世田ヶ谷新町」の表札が残っています。

善養院 善養院

善養院は大溪山豪德寺の末寺で元和2年 (1616年) に創建されました。山門の脇には本堂再建供養塔と萬霊塔が建っています。再建供養塔は昭和16年 (1941年) 11月に建立されました。

本堂再建ノ記

當院ハ 萬延元年 明治五年 両度ニ諸堂ヲ焼失シ 約六十年間狭隘ナル假本堂ナリキ 昭和三年春 再建ノ議熱シ 十年積立寄附金ヲ以テ本堂新築ニ決ス昭和八年十月設計成リ仝年十二月起工 仝十年六月竣工ス 建築委貟一同ハ大事業ノ完成ニ歓喜ス 誠ニ𣞀信徒一致恊力ノ賜物ナリ 茲ニ吉日ヲトシ 入佛供養會ヲ嚴修シ 塔ヲ立テ 十方淨財寄附者 先亡諸精霊ニ供養シ地蔵尊ヲ安置シテ𣞀信徒各家ノ家道興隆災障消除ヲ祈願スル者也

二十八世 眞道誌

本堂新築寄附者

本寺 豪德寺
住職 諏訪眞道
(以下略)

善養院 善養院

本堂再建前の仮本堂は2度の火災後の明治8年 (1875年) に豪德寺の照心堂を移築したものでした。本堂脇には冒頭の駒澤村の表札が組み込まれた花崗岩製の門柱が建っています。

精米店 弦卷駅

善養院の門前には東京府道1號東京厚木線と玉電が通っていて、大正13年 (1924年) 12月26日に弦卷駅が字橋場47番地に設けられました。弦卷駅の北側には出桁造の田中精米店が建っています。

看板 仕舞屋

府道の北側に沿って品川用水が流れていましたが、昭和25~27年に埋め立てられ歩道になりました。歩道沿いには出桁造町家があり、その前の植え込みにはたばこ看板がぶら下がっています。

看板建築 看板建築

善養院西側の府道沿い南側には片流れ屋根の看板建築である佐藤豆腐店とパン屋la Ceriseがあります。その隣には蔦で覆われた看板建築であるインド料理店砂の岬が並んでいます。

玉電の新町駅は明治40年4月1日の三軒茶屋-玉川間開業時は字北中丸320番地にありました。大正2年5月20日の新町住宅地分譲開始に先立ち、分譲地入口となる字北裏3355番地に移転しました。そして昭和7年に櫻新町と改称され、新町の駅名は一旦消滅しましたが、昭和27年4月1日に弦巻駅が新町に改称されたことにより復活しました。

【参考文献】
東京急行電鐵株式會社『東京橫濱電鐵沿革史』昭和18年3月25日
世田谷区立郷土資料館『玉電 - 玉川電気鉄道と世田谷のあゆみ』平成元年12月13日
宮脇俊三、宮田道一『世田谷たまでん時代』大正出版、平成6年5月1日
世田谷区立郷土資料館『地図で見る世田谷』2017年10月28日
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