駒澤町大字上馬
大正14年 (1925年) 10月1日に荏原郡駒澤村が町制を施行して駒澤町になりました。これと同時に大字上馬引澤と下馬引澤の引澤が省略され、大字上馬と下馬になりました。駒澤町は昭和7年10月1日の世田谷區誕生までの7年間だけ存在しましたが、駒沢2丁目地内に「駒澤町上馬九九八番地」の表札が残っています。
近くには東京府道1號東京厚木線から府道215號世田谷等々力線が分岐する追分(現在の駒沢交差点)があり、その西の大字上馬字三橋1002番地に玉電の駒澤駅がありました。駅跡の南側には戦後築の看板建築商店である八百伊商店と仕舞屋、1棟挟んで鈴木ふとん店が並んでいます。
駒澤駅の西には新町庚申講が鎮座しています。堂宇内には庚申塔が2基祀られています。風化が激しく青面金剛と三猿の形状がどうにか判明できる状態なので造立年は判明していません。
玉川通り(国道246号)と自由通り(東京都道426号上馬奥沢線)の交差点である駒沢大学駅前交差点西の北側歩道上に東急電鉄のマンホールがあります。紋様はJIS標準型で、中央には昭和17年 (1942年) 5月1日の所謂大東急の成立時に制定され、昭和48年4月まで使われた先代の社章が入っています。
ここには大正13年 (1924年) 12月26日に設けられた玉電の眞中駅がありました。眞中駅は昭和16年12月20日に営業休止し、戦後復活、そして昭和44年5月10日を以って廃止されました。昭和52年4月7日に旧駅直下に新玉川線駒沢大学駅が開業しました。マンホールは新玉川線の建設時に設置されたと思われます。
なお、府道1號東京厚木線と府道56號大森田無線の交差点(現在の上馬交差点)西の大字上馬字眞中819番地にあった上馬駅は駒澤村時代は上馬引澤と名乗っていました。『東京府道路槪要』掲載の府道路線図(右図)には眞中駅や弦卷駅の記載はなく、駒澤駅はしもうまと誤植されています。
- 【参考文献】
- 東京府土木部『東京府道路槪要』昭和7年7月
- 東京急行電鐵株式會社『東京橫濱電鐵沿革史』昭和18年3月25日
- 世田谷区立郷土資料館『玉電 - 玉川電気鉄道と世田谷のあゆみ』平成元年12月13日
- 宮脇俊三、宮田道一『世田谷たまでん時代』大正出版、平成6年5月1日
- 世田谷区立郷土資料館『地図で見る世田谷』2017年10月28日
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