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芝白金の小寺醤油店と大和屋本店

商店街

江戸東京たてもの園に移築展示されている小寺醤油店と大和屋本店はかつて芝區白金地区に建っていました。このうち、小寺醤油店は昭和8年 (1933年) 築の出桁造で、袖蔵とともに白金北里通り沿いの渋谷区恵比寿2丁目と港区白金5丁目の境界の港区側にあるローソンストア100とマンションのところにありました。

出桁造 解説

小寺醤油店は大正9年 (1920年) の創業で、1990年まで醤油や味噌、酒類を販売していました。元の場所の西隣にある恵比寿2丁目の出桁造5軒長屋は小寺醤油店が昭和2年に建てた長屋です。

旧町名 木戸

店舗脇の木戸の左側の柱に東京電力の銘板「エビス1-7」があります。これは旧町名である惠比壽通一丁目のもので、木戸の部分が芝區と渋谷區の境界だったことを示しています。

店内 琺瑯看板

木戸の冠木には塩の販売認可を表す「塩小売店」の琺瑯看板があります。店内には「髙㙒本家吟醸 佐渡味㬝」の特約店看板や各種ポスターが貼られ、昭和30年代の様子が再現されています。

看板 展示

隣の袖蔵は鉄筋コンクリート造です。袖蔵内には戦前と昭和20年代の小寺醤油店の写真や醤油に関する各種展示があります。「日本一品 最上醤油」の看板は今は無き釜屋醤油のもので、清水友吉氏は鍵屋の2代目主人です。

日本一品 最上醤油

天正貮年以來開業 内外各博覧會受賞 原料精撰醇良芳味

千葉縣下總國市川町 田中喜兵衞釀造

帝國大學御用醤油 陸軍各隊御用醤油 諸府縣諸外國●●

特約販賣店 清水友吉

最上醤油とは江戸時代末期の元治元年 (1864年) に幕府が特に品質が優れていると認定した醤油のことで、看板の前にその名称の由来書きがあります。

最上醤油

江戸時代末期、幕府は物価上昇をとめるために、商品の価格引下げを命じました。野田の三印と銚子の四印の醤油醸造業者は、上物以上の最上の醤油であるとして従来どおりの販売価格を許されました。それ以降、看板などに最上醤油という文字を入れるようになりました。

看板 看板

壁には昭和30~50年代のキッコーマンの「亀甲萬」紋の看板、昭和初期のヤマサ醤油と山十印最上醤油(下總國銚子港岩﨑重次郎釀、大正7年に濱口儀兵衞商店が買収)の看板が展示されています。

醤油容器 醤油容器

容器として、1斗 (≅18.039ℓ) 醤油樽、18ℓ陶器製醤油瓶、昭和初期のヤマヤマ醤油(昭和14年に銚子醤油が買収)角缶、ヒゲタ醤油2ℓ瓶,、キッコーマンとヒゲタ醤油のペットボトルが展示されています。

樽は、江戸時代から醤油の流通に使われました。樽は何度でも再利用されました。江戸には、醤油や酒の容器として使用された樽(空樽または明樽)を回収し、売り捌く問屋までありました。樽には一斗入り、四斗入りなどがありました。

陶器製容器

陶器製の容器は江戸時代から使われていました。陶器製の容器は重く、破損しやすいため、醤油を保管、利用する徳利や甕の他には、贈答用の容器として使われました。この陶器製の容器は酒類を入れることにも用いられました。

缶の容器は大正時代から使われました。昭和に入ると角型や丸型(円筒型)、また、さまざまな容量のものがつくられ、贈答用を中心に普及しました。現在でも1ℓより小型のものは一般家庭贈答用に、大型のものは業務用や輸出用に使われています。

醤油の容器にガラス製の瓶が使われるようになったのは、大型のガラス瓶がつくられるようになった大正時代後期です。2ℓ瓶は、その後、首都圏や京阪神を中心に流通していましたが、1993年(平成5)1.8ℓ瓶に統一されました。

プラスティックボトル

瓶がプラスティックボトルに替わったのは昭和40年ごろで、現在では小売のほとんどがプラスティックボトルになっています。瓶の重さが負担となっていた従来に比べて、簡単に扱えるプラスティックボトルの出現は喜ばれました。

出桁造 解説

大和屋本店 (明治35年創業) は東京メトロ南北線白金台駅前で盛業中の銘茶と海苔の山城園のところに建っていた昭和3年築の木造3階建商家です。正面には高輪局の2桁局番44の電話番号が貼られています。

店内 煙草販売

店頭前面には煙草屋の造作がありました。現在の造作は青梅市から移設した昭和20年代のものです。店内は戦前の乾物屋を再現しており、当時のレジや金庫もあります。

琺瑯看板 琺瑯看板

店頭には「鹽」と書かれた塩の販売認可看板が吊り下げられていて、建物の右横には昭和24年6月1日以前の大蔵省専売局時代の琺瑯看板「煙草小賣所」が貼られています。

【参考文献】
江戸東京たてもの園、スタジオジブリ『江戸東京たてもの園物語』1995年5月31日
山下琢巳: "容器の変遷からみた銚子における醤油醸造業と関連諸産業の展開", 歴史地理学調査報告, 10, pp.1-15 (2002)
帝國興信所『帝國信用錄 第貳拾七版』昭和9年4月1日
【関連サイト】
松本泰生: "山城園/大和屋本店", 都市俳諧blog, 2009年11月22日 (2023年4月8日閲覧)
港区: "No.500 白金台ボーリング場と山城園旧店舗付近", 高輪地区歴史・文化資産のデジタルアーカイブ (2023年4月8日閲覧)
【関連記事】
神田区須田町一丁目界隈【移築建物篇】 (2023.04.09)
三光豊沢商店街 (2022.10.22)
【改訂】
清水友吉氏に関する記述と参考文献に『江戸東京たてもの園物語』を追加 (2023.04.25)
惠比壽通一丁目の東京電力の銘板の写真と記述、および木戸の写真を追加 (2023.04.27)
カテゴリ"旧町名"に追加 (2023.04.27)
小寺醤油店と大和屋本店の創業年を追記 (2024.10.22)

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