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下谷区の痕跡【現存建物篇】

標高地形図

下谷區は明治11年(1878年)11月2日から昭和22年(1947年)3月15日の台東区新設まで存在していた区で、台東区の西半分に位置していました。下谷の地名は舌状台地である上野台地に対する低地であることに由来しています。本郷台地との間には古石神井川(谷田川)によって谷が形成され、その出口に不忍池があります。

駅舎

明治16年7月28日の日本鐵道株式會社の上野-熊谷間の仮開業に伴い、東叡山寛永寺の麓の上野山下町1番地に上野駅が開業しました。明治18年7月16日に煉瓦造の駅舎が竣工しましたが、大正12年9月1日の関東大震災で焼失してしまいました。その後、昭和7年4月3日に現在の駅舎が竣工しました。

駅ホーム

東京地下鐵道株式會社の上野-淺草間が東京都市計畫街路幹線6號「上野公園前ヨリ駒形町ヲ經テ押上町ニ至ル」(延長3640m、幅員33m)として整備された現在の浅草通り直下に建設され、昭和2年12月30日に開業しました。このとき開業した上野駅は2015年6月着工のリニュアル工事まで建設当初の姿を保っていました。

看板建築 風景

浅草通り沿いには昭和初期の建物が幾つか残っています。車坂町53番地(→東上野3丁目)には銅板貼り看板建築の上村屋が残っています。2棟隣の写真店も同時期の建物と見受けられます。

軒丸瓦 錣屋根

写真店の西隣には昭和2年築で錣屋根の翁庵(明治32年創業)が営業しています。左端の軒丸瓦には「翁」「庵」の文字、右端の軒丸瓦には左二つ巴紋と「翁庵」の文字が描かれています。

比留間歯科医院 比留間歯科医院

浅草通り北側の面する北稻荷町54-3番地(→東上野4丁目)には、昭和4年築の木造2階建でハーフティンバー切妻屋根の比留間歯科醫院(明治33年開院)が建っています。

同じ北稻荷町内には昭和3年築の下谷小学校の復興小学校建築もありましたが、今年度中に取り壊されることになりました。

黒沢ビル 黒沢ビル

仲町通り沿いの池之端仲町16番地(→上野2丁目)には、眼科医小川劒三郎氏が経営する小川眼科病院の建物として昭和4年に竣工したRC造地上3階地下1階建の黒沢ビルが建っています。

復興小学校 復興小学校

西黒門町5番地(→上野1丁目)には昭和5年7月19日に竣工した復興小学校である黒門小学校(明治43年5月7日創立)があります。下谷小学校とは異なり改修され、現役の校舎として使われています。

駅舎

上野の隣駅である鶯谷駅は、明治45年7月11日に鐵道院東北本線の駅として下谷區上野櫻木町2番地に開業しました。現在の南口駅舎は昭和2年10月竣工の木造駅舎で、電車線(山手線)の線路上に人工地盤を造成し、その上に建てられています。

本記事中の建物のうち、黒沢ビルは2005年11月10日付で登録有形文化財(建造物)に登録されました。

(続く)

【改訂】
黒沢ビルと黒門小学校を追加 (2023.10.12)

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