東京の2桁市内局番【2】
(承前) 今から100年前の大正12年(1923年)9月1日11時58分32秒に発生した大正関東地震はM7.9~8.1で、第1震源である小田原直下で断層破壊が起こり、その10~15秒後に第2震源となる三浦半島直下で破壊が生じました。12時1分に東京湾羽田沖が震源のM7.2の余震、12時3分に山梨県道志村付近が震源のM7.3の余震が立て続けに発生し、東京は5分間も強い揺れに見舞われました。
この地震による震災(関東大震災)の死者・行方不明者は推定105000人で、その9割は東京市などで広範囲に発生した火災によります。
電話局の被害
京橋分局では局舎の一部崩壊で死傷者が生じ、九段・芝・神田・浪花・本局・四谷等では壁面の大亀裂や幹材の破損により局舎が使用に耐えられなくなりました。地震後の火災により半数以上の局で設備も焼失してしまい、焼失を免れた分局は小石川・牛込󠄁・靑山・高輪・四谷・九段の6分局でした。このうち、小石川・牛込󠄁・靑山・高輪は9月29日、四谷は翌年3月20日にそれぞれ復旧しました。九段分局は大正15年1月20日から中継交換を再開しましたが、後述の自動交換化の対象となったため、完全復旧は昭和2年1月27日にずれ込みました。
RC造の本局/丸ノ内・銀座・淺草・濱町/堀留・墨田の各局舎は躯体をそのまま再利用し、内部の設備を施して復旧しました。そして元丸ノ内局舎に共電式手動交換機を設置した大手分局が大正13年2月11日に開局しました。他の局舎はRC造で建て直すことが決定されました。
自動交換方式の採用
震災からの復旧に合わせて大正13年度に自動式電話交換の実施が決定され、大正14年7月15日の官報に逓信省電務局による「自働式電話交換の實施」の記事が掲載されました。
本年度において、東京の一部と橫濱の全部に自働式電話交換實施のことに決定され、目下工事の進󠄁捗中であつて、いよ〱竣工開通󠄁のあかつきにおいては、兩市の電話交換には異常の變革を見る。
東京では一部の局で自動化が実施されることになり、手動局と混在することになりました。このため、加入者による電話機操作方法も記されています。イラストに描かれている自働式電話機に後年の黒電話や赤電話と同じダイヤルが見られます。記事中ではダイヤルのことを呼出器(ダイアル)と称しています。
東京では本年十二月中旬頃、京橋をさきがけとして、明年三月中旬頃には本所󠄁・下谷・茅場町・神田の各局を新設して、これにストロージヤ式自働交換方式を採󠄁用して、大震災による不通󠄁加入電話約一万二千餘箇を收容開通󠄁させる外、現在の手働局收容加入電話約一万二千餘箇を切替收容して、總計加入電話約二万四千餘箇を自動式とする。しかして現在の手働局である大手・牛込󠄁・四谷・靑山・高輪・銀座・浪花・墨田・淺草・小石川の各局はそのままこれを存置するから、全部を自働交換化することはできない、したがつて自働局と手働局と併存するのであるが、これ等兩者の通󠄁話卽ち自働局所屬加入者から手働局所屬加入者への通󠄁話、または後者から前者への通󠄁話は、交換手を必要とするのであつて、これがため局内部の裝置はやゝ複雜となるが、自働局所屬加入者側の電話使用法は、全部自働式の場合と少しも異なることはなく總て電話機に取付けてある呼出器(ダイアル)を廻轉することによつて、加入者を呼出す。一方手働局所屬加入者の電話機使用方法は、通話の相手方が手働局所屬と自働局所屬とを問わない、總て現在通󠄁りであつて變るところがない。
横浜では全て自動化されることになりました。
次ぎに橫濱では、明年三月中旬頃本局および長者町局を新設して、これにシーメンス式自動交換式を採󠄁用し、大震災後のまだ復舊しない加入電話約五千九百餘箇を開通󠄁させるとともに、現在手働局に收容の加入電話約四千五百餘箇を切替收容して、一万四百餘箇の加入電話を自働式として、現在の手働局はこれを全癈して、電話交換の理想である全部自働交換化を實現するから、東京のように自働局と手働局との間を連絡媒介するために、局内に特殊の裝置を施し、交換手を配屬して、これを交換させる必要はない。
自動交換方式の簡単な技術解説が続きます。
東京にはストロージヤ式を、橫濱にはシーメンス式を採󠄁用したが、後者は前者より分離發達󠄁したものであつて、何れも相當のながい年月の經驗を有して、この間幾多の改良を加へて、今日の完成した方式となつた。これ等の方式は加入者が呼出器(ダイアル)を廻轉することによつて、ステップ、バイ、ステップ方法で所󠄁要の加入者を選出するのであるが、その囘線動作の使用電壓およびその他囘路上多少の相異がある。兩式とも機械の動作上各特異の點はあるが、加入者側における使用方法は大体同様である。
続けて分局名を数字で表す市内局番(局番號)の説明がなされています。ここで東京は2桁、横浜は1桁の市内局番であることが明記され、東京と横浜の電話区画図が添えられています。東京の電話区画図には自働局と手動局が区別されています。
自働式電話交換においては、分局名は數字をもつて表示する。けだし分局の選出は、現在の手働式のように交換手の媒介をまたない、加入者自身、電話機に取付けてある呼出器(ダイアル)を廻轉することによつて、直接することになるからである。分局名を表示する數字を局番號と稱し、自働交換實施の時における東京・橫濱の各分局番號は區畫圖中局名の下に記載の通󠄁りで、いまその成り立ちを槪記すると次ぎの通󠄁りである。東京はまづ電話區域を七區に大別して、2から8までの區畫番號を中心から、時計の指針が廻る方向とは反對に順を追つてつけ、かくして中心地にある大手局および神田局の區畫が、2、牛込󠄁・四谷および靑山局の區畫が、3、高輪局の區畫が、4、銀座・京橋の區畫が、5、浪花・茅場町局區畫が、6、本所󠄁および墨田局の區畫が、7、淺草區・小石川局の區畫が8、の振當となり、なお同一區畫内の分局を區別するために3から9までの數字のうちで、任意の數字一箇を右區畫番號に附加し、この二數字をもつて局番號とされる。例へば大手は28、牛込󠄁は34、本所󠄁は73、京橋は56等がそれである。
次ぎに橫濱は二大區畫に區分されてあるが、同地は東京に比し、分局數二局に過ぎないから特に代表する數字はこれを附せない、單に一箇の數字をもつて分局名を表示して、卽ち本局は2、長者町は3をもつて局番號とする。
最後に加入番号に関する説明があります。
自働式電話交換の場合における加入番號は、常に四箇の數字をもつて表示し、二五番等のように四箇に 滿たないときは、四箇の數字になるまで0を附加して、〇〇二五番とする、この場合において〇は電話番號の一部を形成して、二や三の數字と同様の價値がある。しかして加入番號と前に述べた局番號との電話番號簿上における揭載様式は、アラビヤ數字を用ひ橫書式にする。例へば京橋二五番は「京橋56-0025」または長者町一〇二〇番は「長者町3-1020」のように表示されて、ダッシの前の數字が局番號で、次ぎの数時が加入者番號である。自働局所屬の加入者が相手の加入者を呼出すときは、東京は六箇、橫濱は五箇の數字だけ呼出器を廻轉する。
これ以降に復旧・新設される分局には全てストロージャ式自働交換機が設置されました。その第1期工事分として京橋・本所󠄁・下谷・茅場町・神田・九段の各分局の自働交換機が大正13年7月に購入契約額814万円で海外に発注されました。続いて第2期工事分として丸ノ内・日本橋・芝・大塚の各分局分が700万円、橫濱本局と長者町分局の分が174万円で発注されました。
(続く)
- 【東京の2桁市内局番】
- 東京の2桁市内局番【1】: 局番なしの時代
- 東京の2桁市内局番【2】: 震災と自動交換方式の採用
- 東京の2桁市内局番【3】: 震災復興期
- 東京の2桁市内局番【4】: 隣接5郡の電話
- 東京の2桁市内局番【5】: 東京市域拡大
- 東京の2桁市内局番【6】: 戦災から郵電分離まで
- 東京の2桁市内局番【7】: 電気通信省
- 東京の2桁市内局番【8】: 3桁局番誕生前夜
- 東京の2桁市内局番【9】: 3桁局番併用そして終焉
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