東京の2桁市内局番【1】
東京電話交換局
開局時の加入者数は東京155、横浜42でした。同時に東京15ヶ所、横浜1ヶ所の電信局内に電話所が設けられ、公衆電話が置かれました。2年後の明治25年7月7日に龍ノ口から麴町區錢瓶町に移転し、明治31年2月に煉瓦造2階建の新局舎が竣工しました。明治36年4月1日の官制改正により東京中央電話局と改称されました。
手動交換
電話を掛けるときはまずは交換手を呼び出し、通話したい相手の局名と加入番号を口頭で伝え通話の申し込みをしました。そして、交換手が回線の空きを確認し、手動で交換機の線をつないで相手方を呼び出し、相手方の応答を待ってようやく通話が成立するという手動交換でしたので、市内局番はありませんでした。
相手方が同一局内もしくは市内の場合は交換手がその場で接続操作をする即時通話が基本でした。一方、市外通話では通話の申し込みをしてから一旦受話器を置き、市外回線の空きを待って交換手が接続操作を行い、発信者と相手方を呼び出しから通話ができる待時通話でした。
加入者用電話機として当初はガワーベル電話機(図右)が用いられていました。明治29年7月に磁石式発電機内蔵のデルビル磁石式電話機(図中央)が採用され、昭和40年頃まで約70年間使われました。明治42年6月以降開局の区域では電話局から電源を供給する共電式電話機(図左上:壁掛型、左下:卓上型)が使われました。
『東亰電話番號簿 大正11年4月1日現行』には、同じ局の加入者同士の通話、他局加入者への通話、市外への通話の3通りの場合の接続手順が絵入りで解説されています。
- Ⅰ 同じ局の加入者同士の通話
- 同じ局の加入者にかけるには一人の交換手で接ぎます
- Ⅱ 他局加入者への通話
- 他局加入者への通話は發信臺の交換手により中繼線を經て相手局着信臺交換手の手を通じ接續されますからⅠの場合に比べて餘計に手數かかります
- Ⅲ 市外への通話
- 東京丸ノ内加入者が記錄臺(市外通話受付台)に申し込むと交換証を作て市外臺へ廻附します市外臺交換手は順番が來ると大坂線に依て圖の様に接ぎます
次々と開局する分局
加入者の増加に伴い、明治29年から大正12年にかけて20の分局が開局しました。当初は磁石式手動交換機を設置していましたが、明治42年6月開局の芝分局以降に開局した分局では共電式手動交換機が採用されました。また、分局の加入区域は町丁単位で定められていました。
分局名 | 開局日 | 所在地 | 備考 |
---|---|---|---|
本局 | M23.12.16 | 麴町區錢瓶町1 | M25.07.07龍ノ口から移転 |
浪花 | M29.11.15 | 日本橋區浪花町19 | M43.04.01浪花町分局を改称 |
新橋 | M31.10.01 | 京橋區八官町2 | T12.08.01銀座分局と改称 |
番町 | M32.07.15 | 麴町區三番町82 | T12.07.08九段分局と改称 |
下谷 | M36.03.30 | 下谷區仲御徒町三丁目12 | |
芝 | M42.06.20 | 芝區愛宕町二丁目13 | |
京橋 | M43.12.25 | 京橋區金六町19 | |
本所󠄁 | M44.12.17 | 本所󠄁區林町二丁目12 | |
神田 | T04.10.31 | 神田區新銀町17 | |
小石川 | T06.05.13 | 小石川區柳町25 | |
高輪 | T07.04.14 | 芝區田町九丁目11 | |
銀座 | T08.02.26 | 京橋區八官町2 | 新橋分局の隣 |
九段 | T08.03.09 | 麴町區三番町 | 番町分局と同居 |
濱町 | T09.03.07 | 日本橋區浪花町21 | 浪花分局の隣 |
丸ノ内 | T09.03.28 | 麴町區錢瓶町1 | 本局舎内 |
淺草 | T09.08.08 | 淺草區三間町20 | |
墨田 | T11.03.30 | 本所󠄁區橫川町72 | |
靑山 | T11.09.10 | 赤坂區靑山北町四丁目<1/td> | |
牛込󠄁 | T12.01.28 | 牛込󠄁區細工町22 | |
堀留 | T12.03.08 | 日本橋區浪花町21 | 濱町分局2階 |
四谷 | T12.07.08 | 四谷區鹽町三丁目39 |
初期の局舎は煉瓦造で、本所󠄁分局だけは石造局舎でした。大正4年開局の神田分局が最後の煉瓦造局舎で、大正6年開局の小石川分局は初のRC(鉄筋コンクリート)造局舎となりました。小石川分局以降に建てられた局舎は九段分局以外は全てRC造になりました。
大正8年6月20日にRC造3階建の東京中央電話局舎が竣工し、新局舎内に市外交換局と丸ノ内分局が開局しました。上述の「電話をつなぐ手順」の"市外への通話"に書かれている東京丸ノ内とは丸ノ内分局のことで、記錄臺と市外臺は市外交換局の通話申込受付と交換室を指しています。
この時代の「東京電話交換加入區域略圖」は江戸時代からの慣習で西が上になっています。これは江戸(東京)は東が低地で、西に向かって標高が高くなるからと云われています。
分局数や加入者数の増加に伴い、手動交換の限界が見えてきました。このため自動交換について検討が秘かに行われ、大正11年11月3日には遞信省構内でストロージャ式自動交換機が試用されるに至りました。
(続く)
- 【東京の2桁市内局番】
- 東京の2桁市内局番【1】: 局番なしの時代
- 東京の2桁市内局番【2】: 震災と自動交換方式の採用
- 東京の2桁市内局番【3】: 震災復興期
- 東京の2桁市内局番【4】: 隣接5郡の電話
- 東京の2桁市内局番【5】: 東京市域拡大
- 東京の2桁市内局番【6】: 戦災から郵電分離まで
- 東京の2桁市内局番【7】: 電気通信省
- 東京の2桁市内局番【8】: 3桁局番誕生前夜
- 東京の2桁市内局番【9】: 3桁局番併用そして終焉
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