« 下谷区の痕跡【現存建物篇】 | トップページ | 下谷区の痕跡【疎開移住篇】 »

下谷区の痕跡【移築建物篇】

下谷區社会事業協会銘板

(承前) 下谷區内にあった下谷消防署の望楼上部、村上精華堂、鍵屋が東京都立小金井公園の江戸東京たてもの園に移築されています。このうち、下谷消防署は昭和50年4月1日に上野消防署と改称しましたが、明治44年(1911年)の第5消防署庁舎落成以来、現在地である北稻荷町43番地(→東上野5丁目)にあります。

望楼 解説

望楼とは火の見櫓のことで、下谷消防署の望楼は大正14年(1925年)に建設された高さ23.6mの三脚四層式の鉄塔で、昭和45年まで使用されました。その後、昭和52年に解体され上部が移築されました。

看板建築 解説

村上精華堂は不忍通り沿いの池之端七軒町37番地(→池之端2丁目)にあった昭和3年築の人造石洗い出し仕上げの看板建築です。入口の鴨居に下谷區社會事業協會正會員の銘板が残っています。

木造建築 解説

鍵屋は金杉通り沿いの坂本町三丁目4番地(→下谷2丁目)にあった安政3年(1856年)創業の酒問屋で、角打ちもやっていました。創業時は平屋建でしたが、大正期に2階をお神楽方式で建て増しています。

鍵屋は昭和24年に居酒屋に業態変更しましたが、それまで角打ちをやっていたため東京最古の居酒屋といわれています。昭和49年に言問通り拡幅のため、根岸3丁目の大正元年築の古民家に移転し、現在でも盛業中です。

(続く)

|

« 下谷区の痕跡【現存建物篇】 | トップページ | 下谷区の痕跡【疎開移住篇】 »

近代建築」カテゴリの記事

旧町名」カテゴリの記事