東京の2桁市内局番【7】
(承前) 昭和24年(1949年)6月1日に逓󠄂信省が二省に分離され、電氣通󠄁信省と郵政省が設置される郵電分離が行われました。これにより、電話局が郵便局から自立し、独自の道を歩むことになりました。その一方で引き続き戦災からの復旧が鋭意進められました。
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(承前) 昭和24年(1949年)6月1日に逓󠄂信省が二省に分離され、電氣通󠄁信省と郵政省が設置される郵電分離が行われました。これにより、電話局が郵便局から自立し、独自の道を歩むことになりました。その一方で引き続き戦災からの復旧が鋭意進められました。
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(承前) 昭和19年(1944年)4月1日に田園調布・蒲田・池上・羽田・王子・落合長崎・板橋・赤羽の各電話局が東京市内の電話に編入されました。その後、米軍の執拗な空襲による電話局や線路施設などの焼失、資材の枯渇による粗悪な戦時規格品の使用、人材不足による整備不良で電話機能は荒廃していきました。
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昭和7年(1932年)10月1日に世田谷町、駒澤町、松澤村、玉川村が合併して世田谷區が誕生しました。このとき飛地が整理され、基本的には各町村の大字を踏襲する形で町名・町域が制定されました。松澤村大字松原の大半は世田谷區松原町一丁目~四丁目になりました。
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