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東京の2桁市内局番【6】

高輪分局裏

(承前) 昭和19年(1944年)4月1日に田園調布・蒲田・池上・羽田・王子・落合長崎・板橋・赤羽の各電話局が東京市内の電話に編入されました。その後、米軍の執拗な空襲による電話局や線路施設などの焼失、資材の枯渇による粗悪な戦時規格品の使用、人材不足による整備不良で電話機能は荒廃していきました。

東京市内区域の拡大

昭和13年のときとは異なり、東京大森電話局と東京豐島電話局を設置、東京中央電話局と3局体制にし、それぞれの分局としての編入になりました。東京豐島電話局は交換機能を有していませんでした。

通󠄁信院告示第百五十一號

昭和十九年四月一日ヨリ左記電話局ヲ設置シ電話規則ニ依ル電話事務ヲ取扱フ但シ市外交換業務ハ東京中央電話局ニ於テ之ヲ取扱フ

昭和十九年三月二十九日 通󠄁信院總裁 小松茂

名稱位置
東京大森トウケウオウモリ電話局東京都大森區入新井ママ丁目
東京豐島トウケウトシマ電話局同豐島區西巢鴨一丁目

通󠄁信院告示第百五十二號

昭和十九年四月一日ヨリ左記電話分局ヲ設置シ電話交換業務ヲ取扱フ但シ田園調布、住吉及城東分局ハ料金事務ヲモ取扱フ

昭和十九年三月二十九日 通󠄁信院總裁 小松茂

名稱位置
東京中央電話局田園調布デンエンテウフ分局東京都大森區田園調布三丁目
東京大森電話局蒲田カマタ分局同蒲田區本蒲田五丁目
東京大森電話局池上イケガミ分局同大森區池上德持町
東京大森電話局羽田ハネダ分局同蒲田區萩中町
東京豐島電話局大塚オウツカ分局同小石川區大塚仲町
東京豐島電話局王子オウジ分局同王子區豐島一丁目
東京豐島電話局落合オチアイ分局同豐島區椎名町四丁目
東京豐島電話局駒込󠄁コマゴメ分局同本鄕區駒込󠄁林町
東京豐島電話局板橋イタバシ分局同板橋區板橋町二丁目
東京豐島電話局赤羽アカバネ分局同王子區岩淵町二丁目
大阪中央電話局住吉スミヨシ分局大阪市住吉區長峡町
大阪中央電話局城東ゼウトウ分局同城東區蒲生町

通󠄁信院告示第百五十三號

昭和十九年三月三十一日限リ東京中央電話局ニ於ケル左記分局ノ電話事務ヲ廢止シ下記電話局之ヲ承繼ス

昭和十九年三月二十九日 通󠄁信院總裁 小松茂

名稱位置承繼局
大森分局東京都大森區入新井ママ丁目東京大森電話局
大塚分局同小石川區大塚仲町東京豐島電話局
駒込󠄁分局同本鄕區駒込󠄁林町

通󠄁信院告示第百五十四號

昭和十九年三月三十一日限リ左記電話局及郵便局ニ於ケル電話事務ヲ廢止シ下記電話局之ヲ承繼ス但シ郵便局ニ於ケル電話通󠄁話事務ヲ除ク

昭和十九年三月二十九日 通󠄁信院總裁 小松茂

名稱位置承繼局
田園調布電話局東京都大森區田園調布三丁目東京中央電話局
池上電話局同同池上德持町東京大森電話局
羽田電話局同蒲田區萩中町
蒲田郵便局同同蒲田本町五丁目
王子郵便局同王子區王子一丁目東京豐島電話局
落合長崎郵便局同豐島區椎名町二丁目
板橋郵便局同板橋區板橋町六丁目
赤羽郵便局同王子區岩淵町二丁目
住吉郵便局大阪市住吉區濱口中一丁目大阪中央電話局
大阪城東郵便局同城東區蒲生町

通󠄁信院告示第百五十六號

昭和十二年十月遞信省令第七十三號電話規則第四條第三項ノ規定ニ依ル電話官署ヲ左ノ通󠄁定メ昭和十九年四月一日ヨリ之ヲ施行ス

昭和十九年三月二十九日 通󠄁信院總裁 小松茂

東京中央電話局 東京大森電話局 東京豐島電話局

電話規則第4條第3項は指定された複数の電話局の区域をまとめて1区域とみなす条文で、昭和19年3月27日の運󠄁輸通󠄁信省令第38號で追加されました。通󠄁信院とは、昭和18年11月1日に遞信省と鐵道省の統合で設置された運󠄁輸通󠄁信省の外局として郵便や電信電話を所管する官庁です。

電話規則(昭和十二年十月一日遞信省令第七十三號)

第四條ノ三 通󠄁信院總裁ニ於テ別ニ告示スル電話官署ニ關シテハ其ノ電話加入區域ヲ關係電話官署ニ共通ノモノト看做ス

7局の東京編入により9区画が設置され、東京市内の局番號は以下のようになりました。このうち、王子、赤羽、田園調布の3局は、他局に対しての発信時に編入前と変わらず番号の最初に"0"をつける必要がある仮編入の状態でした。

局番號一覽(昭和19年4月1日)
區畫0123456789
0田園調布(02)蒲田(03)羽田(04)池上(05)大森(06)荏原(08)
2丸ノ内(23)日本橋(24)神田(25)
3九段(33)⊕牛込󠄁(34)⊕四谷(35)⊕靑山(36)淀橋(37)中野(38)
4芝(43)⊕高輪(44)三田(45)澁谷(46)赤坂(48)大崎(49)
5築地(55)京橋(56)銀座(57)
6深川(64)茅場町(66)浪花(67)城東(68)
7本所󠄁(73)⊕墨田(74)
8赤羽(80)王子(81)駒込󠄁(82)下谷(83)淺草(84)小石川(85)大塚(86)根岸(87)
9落合(95)板橋(96)
⊕ 手動交換局

国防電話局

戦時下における通信手段の確保のため、昭和19年4月15日に国防電話局と呼ばれた東京中央電話局麹町分局が麹町區永田町の総理大臣官邸裏の隣接地に開局しました。局番号は不詳です。同年9月には局内に日本放送󠄁協會の予備演奏所も設置されました。麹町分局は昭和21年12月31日を以て廃止され、自動交換機は長野の岡谷電話局に移設されました。

遞信省告示第九號

昭和二十一年十二月三十一日限り、次の電話分局を廢止した。但し、その電話分局で取扱つた事務は、下記の電話分局が、これを引きついだ。

昭和二十二年一月十三日  遞信大臣 一松定吉

名稱位置承繼局
東京中央電話局麴町分局東京都麴町區永田町麴町分局各加入者の
電話機設置場所󠄁たる
地域を受持つ各電話分局

空襲そして戦災復旧

局舎

昭和19年11月24日から昭和20年5月25日にかけて、東京市内は米軍による執拗な空襲で焦土と化しました。昭和20年3月10日の空襲で墨田分局が焼失し31名の職員が殉職しました。5月25日の空襲で四谷・高輪・靑山の各分局が焼失しました。終戦後の10月14日に焼失局や手動交換局を中心に8分局が廃止されました。

遞信院告示第百八十三號

昭和二十年十月十四日限リ左記電話分局ヲ廢止ス但シ當該分局ニ於テ取扱ヒタル事務ハ下記電話分局之ヲ承繼ス

昭和二十年十月十五日 遞信院總裁 松前重義

名稱位置承繼局
東京中央電話局浪花分局東京都日本橋區浪花町東京中央電話局茅場町分局
東京中央電話局本所󠄁分局同本所󠄁區菊川町一丁目東京中央電話局深川分局
東京中央電話局髙輪分局同芝區田町九丁目東京中央電話局大崎分局
東京中央電話局墨田分局同本所󠄁區石原町四丁目東京中央電話局淺草分局
東京中央電話局靑山分局同赤坂區靑山北町四丁目東京中央電話局赤坂分局
東京中央電話局四谷分局同四谷區鹽町三丁目東京中央電話局淀橋分局
東京中央電話局城東分局同城東區大島町三丁目東京中央電話局深川分局
東京中央電話局羽田分局同蒲田區萩中東京大森電話局蒲田分局
局舎

本所󠄁分局と墨田分局が廃止となったため、7区画が消滅しました。同時に淺草分局内にあった根岸局も廃止されました。そして12月には牛込󠄁分局が廃止され、東京市内から手動交換局が消滅しました。これら廃止された局は牛込󠄁分局と高輪分局を除いて局番号は一部変われど昭和32年までに復旧しました。

戦災復旧電話局
局名旧局番號復旧日新局番号備考
浪花67S26.04.0167兜町局として復旧
本所󠄁73S26.02.25737区画復活
高輪44S24.06.01-東京港電気通信管理所
墨田74S32.07.01622自動交換化
靑山36S28.08.2340自動交換化
四谷35S25.03.2635自動交換化
城東68S22.09.1068S26.02.25局番号を78に変更
羽田04S22.09.0104
根岸87S24.12.0187浅草局内
牛込󠄁34S22.04.01-東京牛込󠄁電話局

高輪分局は昭和24年6月1日に東京港電気通信管理所として復活し、現在はNTT所有のビルになっています。高輪分局の隣地には伊皿子三井家がありましたが、現在ではNTTデータ三田ビルになっています。記事冒頭の写真は伊皿子三井家当時の門柱です。

昭和22年3月28日には丸の内局内に占領軍専用の大手局が開局し、局番号26が付与されました。

7局体制へ

昭和22年4月1日から東京市内は7局体制になりました。

逓信省告示第八十九号

昭和二十二年四月一日から、次の電話局を設置する。但し、市外電話交換業務は、東京中央電話局で、これを取扱う。

昭和二十二年三月二十九日 逓信大臣 一松定吉

名称位置
東京芝とうきようしば電話局東京都港区芝田村町六丁目
東京赤坂とうきようあかさか電話局同港区赤坂福吉町
東京牛込󠄁とうきよううしごめ電話局同新宿区細工町
東京下谷とうきようしたや電話局同台東区仲御徒町

逓信省告示第九十号

昭和二十二年四月一日から、次の電話分局を設置する。

昭和二十二年三月二十九日 逓信大臣 一松定吉

名称位置
東京芝電話局三田みた分局東京都港区芝松本町
東京芝電話局大崎おうさき分局同品川区大崎本町一丁目
東京赤坂電話局澁谷しぶや分局同澁谷区猿樂町
東京牛込󠄁電話局九段くだん分局同千代田区三番町
東京牛込󠄁電話局淀橋よどばし分局同新宿区新宿三ママ丁目
東京牛込󠄁電話局中野なかの分局同中野区本町通󠄁四丁目
東京下谷電話局浅草あさくさ分局同台東区浅草三間町ママ
東京下谷電話局小石川こいしかわ分局同文京区柳町
東京大森電話局荏原えばら分局同品川区小山町
東京大森電話局田園調布でんえんちようふ分局同大田区田園調布三丁目

逓信省告示第九十一号

昭和二十二年三月三十一日限り、東京中央電話局の次の分局を廃止する。但し、その電話分局で取扱つた事務は、下記の電話局が、これを引きつぐ。

昭和二十二年三月二十九日 逓信大臣 一松定吉

名称位置承継局
芝分局東京都港区芝田村町六丁目東京芝電話局
三田分局同松本町
大崎分局同品川区大崎本町一丁目
赤坂分局同港区赤坂福吉町東京赤坂電話局
澁谷分局同澁谷区猿樂町
九段分局同千代田区三番町東京牛込󠄁電話局
淀橋分局同新宿区新宿三ママ丁目
中野分局同中野区本町通󠄁四丁目
下谷分局同台東区仲御徒町東京下谷電話局
浅草分局同台東区浅草三間町ママ
小石川分局同文京区柳町
荏原分局同品川区小山町東京大森電話局
田園調布分局同大田区田園調布三丁目

逓信省告示第九十三号

昭和十九年三月二十九日通信院告示第百五十六号電話官署中「東京豐島電話局」の次に、「東京芝電話局」、「東京赤坂電話局」、「東京牛込󠄁電話局」及び「東京下谷電話局」を加え、昭和二十二年四月一日から、これを施行する。

昭和二十二年三月二十九日 逓信大臣 一松定吉

東京牛込󠄁電話局では電話交換は行われませんでした。

新市域の電話

昭和21年10月1日に足立局が郵便局から分離し、単独の電話局になりました。

遞信省告示第百八号

昭和二十一年十月一日から、次の電話局を設置する。

昭和二十一年九月二十六日 遞信大臣 一松定吉

名称位置
足立あだち電話局東京都足立區千住中居町
以下11局略

遞信省告示第百九号

昭和二十一年九月三十日限り、次の郵便局における電話事務を廢止し、下記の電話局がこれを承繼する。但し、郵便局における電話通󠄁話事務を除く。

昭和二十一年九月二十六日 遞信大臣 一松定吉

名称位置承繼局
足立郵便局東京都足立區千住中居町足立電話局
以下11局略

昭和23年5月16日に荻窪電話局が市内に編入され、東京牛込󠄁電話局の分局になりました。局番号は39が付与されました。

逓信省告示第百五十七号

昭和二十三年五月十六日から次の電話分局を設置した。但し、当分の間、電話加入事務又び料金事務を取り扱う。

昭和二十三五月十七日 逓信大臣 冨吉榮二

名称位置
東京牛込󠄁電話局荻窪おぎくぼ分局東京都杉並区荻窪三丁目

逓信省告示第百五十八号

昭和二十三年五月十五日限り、次の電話局を廃止した。但し、その電話分局で取扱つた事務は、下記の電話局が、これを引継いだ。

昭和二十三五月十七日 逓信大臣 冨吉榮二

名称位置承継局
荻窪電話局東京都杉並区荻窪三丁目東京牛込󠄁電話局

昭和24年2月21日に世田谷局が郵便局から分離し、単独の電話局になりました。

逓信省告示第六十六号

昭和二十四年二月二十一日から次の電話局を設置する。

昭和二十四年二月十八日 逓信大臣 小澤佐重喜

名称位置
世田谷せたがや電話局東京都世田谷区太子堂町
以下60局略

この他には昭和22年11月1日に石神井郵便局が交叉点斜向いの練馬区下石神井二丁目1217番地に電話分室を設置し、自動交換化しました。

郵電分離前夜

昭和24年6月1日に逓信省が二省に分離され、電氣通󠄁信省と郵政省が設置され、電話と郵便がそれぞれの道を歩むことになりました

郵電分離直前の局番号一覧(昭和24年5月31日)
区画0123456789
0田園調布(02)蒲田(03)羽田(04)池上(05)大森(06)荏原(08)
2丸ノ内(23)日本橋(24)神田(25)大手(26)
3九段(33)淀橋(37)中野(38)荻窪(39)
4芝(43)三田(45)澁谷(46)赤坂(48)大崎(49)
5築地(55)京橋(56)銀座(57)
6深川(64)茅場町(66)城東(68)
7
8赤羽(80)王子(81)駒込󠄁(82)下谷(83)浅草(84)小石川(85)大塚(86)
9落合(95)板橋(96)

(続く)

【東京の2桁市内局番】
東京の2桁市内局番【1】: 局番なしの時代
東京の2桁市内局番【2】: 震災と自動交換方式の採用
東京の2桁市内局番【3】: 震災復興期
東京の2桁市内局番【4】: 隣接5郡の電話
東京の2桁市内局番【5】: 東京市域拡大
東京の2桁市内局番【6】: 戦災から郵電分離まで
東京の2桁市内局番【7】: 電気通信省
東京の2桁市内局番【8】: 3桁局番誕生前夜
東京の2桁市内局番【9】: 3桁局番併用そして終焉

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