世田谷郵便局の西進
"東京の2桁市内局番【4】" で簡単に触れましたが、世田谷郵便局は大山道に沿って数回移転しています。大正15年の1万分の1地形図にその状況を⓪~⑥で記しました。⑥が現在の所在地です。
# | 所在地 | 移転日 | 備考 |
---|---|---|---|
⓪ | 目黑村大字上目黑 | M32.10.01 | 目黑郵便局として開局 |
① | 大字池尻字西町179 | M37.03.31 | 目黑郵便局から改称・移転 |
② | 大字池尻字西町161 | M39 | |
③ | 大字三宿字南宿16 | M42.11.21 | 電話交換開始に伴う移転 |
④ | 大字太子堂字大塚356 | T14.12 | 局舎焼失による仮局舎 |
⑤ | 大字太子堂字西山472 | S02.12.25 | 新庁舎竣工による移転 |
⑥ | 三軒茶屋2丁目1-1 | S55.03.03 |
⓪ 前史
世田谷郵便局は明治32年(1899年)10月1日に目黑村大字上目黑に開局した目黑郵便局を嚆矢としています。明治末期までは武藏國・相模國・下總國などの令制国名が地名表記に使われていました。
遞信省告示第二百六十五號
來十月一日ヨリ武藏國荏原郡目黑村大字上目黑ニ三等郵便局ヲ開設シ目黑郵便局ト稱ス
明治三十二年九月十九日 遞信大臣 子爵芳川顯正
上目黑氷川神社の前は澁谷・靑山を経由して東京市中に至る大山道から廣尾・芝・品川方面に向う日向道が分かれる追分で、道標が立つほどの交通の要所でした。目黑郵便局は神社から後の玉川電氣鐵道大橋駅(大字上目黑字氷川667番地)・車庫(大字上目黑字柳町435番地)にかけての何処かにあったと考えられます。
これとは別に荏原郡世田ヶ谷村大字世田ヶ谷字上町285番地(現: 世田谷1丁目26付近)に明治20年の時点ですでに世田ヶ谷郵便局がありました。
① 大字池尻字西町179番地
明治37年に池尻稻荷神社西隣の世田ヶ谷村大字池尻字西町179番地(現: 池尻2丁目34-5)に移転しました。移転に関する告知は特にありませんが、この頃行われていた玉川電気鐵道の敷設工事やそれに伴う大山道の拡幅整備工事による移転と考えられます。神社の東側には目黑川の支流が流れていました。
遞信省告示第二百四十四號
本月三十一日ヨリ左記ノ通󠄁郵便局及電信受取所󠄁ヲ改稱シ東京芝郵便局ニ於テハ電話通󠄁話事務ヲモ取扱フ
明治三十七年三月三十日 遞信大臣 大浦兼武
位置 舊名稱 新名稱 東京市芝區神谷町 東京西久保郵便局 東京芝郵便局 武藏國荏原郡世田ヶ谷村大字池尻 目黑郵便局 世田ヶ谷郵便局 同 目黑電信受取所󠄁 世田ヶ谷電信受取所󠄁
この移転改称に伴い大字世田ヶ谷にあった世田ヶ谷郵便局は廃止、若林郵便受取所になりました。
遞信省告示第二百四十號
本月三十一日ヨリ左記通󠄁郵便及電信取扱所󠄁郵便受取所󠄁ヲ設置ス
明治三十七年三月三十日 遞信大臣 大浦兼武
位置 名稱 取扱事務 東京市日本橋區元柳町 兩國電信取扱所󠄁 郵便貯金電話通󠄁話事務ヲモ取扱フ 東京市芝區芝口一町目 新橋郵便取扱所󠄁 郵便貯金事務ヲモ取扱フ 東京市芝區汐留町一町目 新橋電信取扱所󠄁 電話通󠄁話事務ヲモ取扱フ 東京市芝區赤羽町 芝赤羽電信取扱所󠄁 同上 東京市深川區東森下町 深川髙橋電信取扱所󠄁 同上 武藏國荏原郡世田ヶ谷村大字世田ヶ谷 若林郵便受取所󠄁 郵便貯金事務ヲモ取扱フ 遞信省告示第二百四十二號
本日限リ武藏國荏原郡世田ヶ谷村大字世田ヶ谷世田ヶ谷郵便局ヲ廢止ス但郵便爲替(電信爲替ヲ除ク)郵便貯金事務ハ若林郵便受取所󠄁叉取立金拂渡事務及電信爲替事務ハ目黑郵便局之ヲ承繼ス
明治三十七年三月三十日 遞信大臣 大浦兼武
② 大字池尻字西町161番地
明治39年に約300m西となる厚木大山街道の新道(現: 玉川通り、国道246号・東京都市計画道路幹線街路放射第4号線)と旧道(大山道)の三宿側分岐点である大字池尻字西町161番地(現: 池尻2丁目37-10)に移転しましたが、その理由は定かではありません。ここにあったのは3年ほどの期間でした。
旧世田ヶ谷郵便局の後継である若林郵便局の名称が所在地名と乖離していたため、世田谷上町郵便局に改称されました。同時に世田谷郵便局も改称となっていますが、以降の遞信省告示では旧名称"世田ヶ谷"が使われていることから、実際に改称されたかは不明です。
遞信省告示第六百二十三號
來明治三十九年一月一日ヨリ左記郵便局ヲ改稱ス
明治三十八年十二月七日 遞信大臣 大浦兼武
現名稱 改稱 位置 中略240局 若林郵便局 世田谷上町郵便局 東京府荏原郡世田谷村 中略183局 世田ヶ谷郵便局 世田谷郵便局 東京府荏原郡世田谷村 以下45局略
時代は下って、大字太子堂字西山に新局舎建設中の昭和2年4月16日に隣地である167番地に世田ヶ谷池尻郵便局が設置されました。
遞信省告示第九百二十四號
昭和二年四月十六日ヨリ左記三等郵便局ヲ設置ス但シ郵便物集配事務ヲ取扱ハス
昭和二年四月十四日 遞信大臣 安達謙藏
名稱 位置 代々幡本村郵便局 東京府豐多摩郡代々幡町大字幡ヶ谷字本村(淀橋局集配區内) 世田ヶ谷池尻郵便局 同荏原郡世田ヶ谷町大字池尻(世田ヶ谷局集配區内) ③ 大字三宿字南宿16番地
明治42年11月21日に世田ヶ谷郵便局で電話交換が始まりました。これに先立ち更に300m西の厚木大山街道沿いの大字三宿字南宿16番地(現: 世田谷区太子堂1丁目4-23)に移転しました。この場所は後年の東京府道43號世田谷代々幡線の始点付近となります。
遞信省告示第千百四十五號
本月二十一日ヨリ左記郵便局ニ電話交換業務及電話通󠄁話事務ヲ開始シ電報規則第七十五條ニ依ル電話加入者ノ託送󠄁電報ヲモ取扱フ
明治四十二年十一月十九日 遞信大臣 男爵後藤新平
名稱 世田ヶ谷郵便局 位置 東京府荏原郡世田ヶ谷村
大正14年(1925年)12月22日の火災により局舎が焼失してしまいました。この火災の状況は12月24日の官報第4001號の彙報に記されています。
○官廳事項
⦿出火
一昨二十二日午後九時三十分東京府荏原郡世田谷ヶ町字三宿十六番地世田谷郵便局ヨリ出火二階建二棟、平屋建一棟全燒同十時四十分鎮火セリ
④ 大字太子堂字大塚356番地
火災後の経緯が『營繕管財局營繕事業年報 第二輯(自大正十五・昭和元年度至昭和五年度)下巻』に簡潔に記されています。大正15年に電話回線の引き回しの関係ですぐの移転が難しい電話交換機能を三宿に残し、その他の機能を200m西の大字太子堂字大塚356番地(現: 太子堂2丁目13-1)の仮局舎に移転したようです。
第二章 世田ヶ谷郵便局局舎其ノ他新營
世田ヶ谷郵便局ハ從來民屋ヲ借入レ之ニ充當シ來リシモ大正十四年十二月二十二日火災ニ因リ燒失シタルヲ以テ焦眉ノ急󠄁ニ應ズルガ爲民屋一棟ノ内約二十餘坪ヲ區分シ借入ルルト共ニ一方約二丁ヲ隔テタル場所󠄁ニ假建物ヲ借入レ兩所󠄁ニ於テ執務シ來リシガ不便尠カラザリシヲ以テ之ガ敷地ヲ買收シ局舎ノ新營ヲ爲スコトトシ所󠄁要經費ヲ大正十五・昭和元年度ニ於テ追󠄁加要求シ昭和二年十二月竣功ヲ見ルニ至レリ
敷地
敷地買收ノ内容左ノ如シ
所在地 名稱 數量 單價 金額 買收年月日 所有者 備考 荏原郡世田ヶ谷町大字太子
堂字西山四七二番地ノ四號宅地 三七〇坪〇八五 一一八円〇〇〇 四三、六七〇円〇三〇 大正一五、一〇、一五 境妙寺 移轉料、借地權
補償料共⑤ 大字太子堂字西山472番地
大正15年に取得した大字太子堂字西山472番地は、三軒茶屋~用賀を結ぶ新道開削前の大山道(現: 世田谷通り、東京都道3号世田谷町田線・東京都市計画道路幹線街路補助線街路第51号線)に面していました。三軒茶屋の追分に寛延2年(1749年)建立の道標があることから、新道開削はこの頃と考えられます。
西山の地にRC造地上2階・地下1階建局舎が竣工し、昭和2年(1927年)12月25日に移転しました。昭和7年10月1日に世田ヶ谷町の東京市編入と世田谷區設立に伴い、所在地が東京市世田谷區太子堂町472番地、名称が世田谷郵便局にそれぞれ改称されました。
遞信省告示第千七百八十號
昭和七年十月一日ヨリ左記郵便局ヲ改稱ス
昭和七年九月二十六日 遞信大臣 南弘
現名稱 改稱 位置 寺島郵便局 向島郵便局 東京市向島區寺島七丁目 千住郵便局 足立郵便局 同足立區千住中居町 巢鴨郵便局 豐島郵便局 同豐島區巢鴨三丁目 龜戸郵便局 城東郵便局 同城東區龜戸町二丁目 世田ヶ谷郵便局 世田谷郵便局 同世田谷區太子堂町 昭和24年2月21日に世田谷電話局が設置され、電話交換業務が移管されました。そして翌年4月9日に電話が東京市内に編入されました。昭和40年9月15日の住居表示実施が実施され、世田谷区太子堂4丁目3-4になりました。それでも郵便局と電話局は同一敷地内で共存していました。
⑥ 三軒茶屋2丁目1
昭和55年3月3日に玉川通り沿いの世田谷区三軒茶屋2丁目1-1に郵便局が移転しました。この辺りの玉川通りは昭和7年に玉川電氣鐵鉄道玉川線の専用軌道に沿うように開削された新道で、大山道は南側を通っています。ここから西140m程に中里駅がありました。玉電廃線後、軌道敷は渋谷方面車路に組み込まれました。
この地にはかつて世田谷消防署がありました。世田谷消防署は昭和7年10月1日に創設、仮局舎が三軒茶屋町46番地に置かれました。翌昭和8年11月4日に三軒茶屋町404番地のこの地に庁舎が竣工し移転しました。ところが出動する消防車と目の前を通る玉電が衝突する事故が起こるため、昭和31年に現在地である三軒茶屋町252番地(現: 三軒茶屋2丁目33-21)に移転しました。
郵便局に隣接している世田谷警察署は、明治43年3月1日に品川警察署世田谷分署として玉電の池尻駅前の大字池尻字東町401番地3に創設されました。大正11年9月1日に品川警察署から独立し、昭和10年1月15日に若林町393番地(現: 若林4丁目5-17警視庁少年育成課世田谷少年センター)に移転しました。その後、昭和12年1月10日に開所し、昭和47年3月まで存在した東京市卸賣市場荏原分場世田谷配給所(所在地: 三軒茶屋町389番地)跡地である現在地に昭和51年9月14日に移転しました。
郵便局前に設置されている郵便差出箱12号は、1996年に誕生した従来の郵便差出箱12号に右側差入口の厚さを7cmにして悪戯防止カバーを付け、左側差入口の横幅を左側と同じにする改良を施したもので、2021年に登場しました。
80年かけた西進
東急
新玉川線田園都市線は池尻大橋→三軒茶屋1.4kmを2分で走ります。副駅名票の東邦大学大橋病院近くに玉電の大橋駅、昭和女子大学前に太子堂駅(太子堂大塚334)がありました。その玉電が大橋→中里2.3kmを7分程度で走破した距離を郵便局は80年かけて西進しました。
- 【参考文献】
- 東京府第一部文書課『東京府統計書 明治20年』(明治21年11月20日)
- 營繕管財局『營繕管財局營繕事業年報 第二輯(自大正十五・昭和元年度至昭和五年度)下巻』昭和11年12月3日
- 東京市中央卸賣市場『東京市中央卸賣市場槪要 昭和十二年七月』昭和12年9月30日
- 世田谷区役所『世田谷区史 下卷』昭和26年3月30日
- 倉島幸雄: "世田谷区史座談会(その二)", 世田谷区誌研究会機関紙"せたかい", 45, pp.73-85 (平成5年4月1日)
- 奥野徳男: "「世田ヶ谷村大字池尻」に開局した「目黒郵便局」", 世田谷区誌研究会機関紙"せたかい", 68, pp.11-15 (2016年7月1日)
- 世田谷区立郷土資料館『地図で見る世田谷』2017年10月28日
- 世田谷区立郷土資料館『近代世田谷消防史 町の発展と防災』2019年10月26日
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