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春一番名付けの日と天気図記念日

実況天気図

気象庁は2月15日(木)に関東地方で「春一番」が吹いたと発表しました。

これは日本海を発達しながら東北東に進んだ低気圧に向って南南東~南南西の強風(最大風速10.3m/s、13:38に最大瞬間風速18.8m/sを観測)が吹き、最高気温が21.1℃(12:27観測)と前日より2.6℃昇温し、春一番の条件を満たしたためです。

春一番名付けの日

「春一番」の語源は諸説ありますが、江戸時代末期から能登・志摩以西で使われていました。今から61年前の昭和38年(1963年)2月15日付の『朝日新聞』朝刊の 「春の突風 シーズン入り 恐ろしい"不意打ち"」の解説記事で「春一番」の言葉が初めて新聞紙上で取り上げられ、全国的に広く使われるようになりました。

強い南風は「春一番」と名付けられているが、その時期は毎年二月から三月上旬にかけて吹出す。

これに因んで2月15日が「春一番名付けの日」となりました。

天気図記念日

その翌日である2月16日は、明治16年(1883年)2月16日に日本初の天気図が東京気象台で試験的に手書きで作成されたことに因んだ「天気図記念日」です。

明治16年の天気図

天気図が印刷されて正式に配布されるようになったのは、同年3月1日です。天気図は京都時午前6時におけるもので、全国21ヶ所の観測地点の天気・風向・風力・気圧・気温が記されています。天気記号は現在のものとは異なっています。明治16年7月2日に第1号が発行された官報にも天気図と同じ気象データが記載されていました。晴雨計は気圧計のことで、その示度をmmHg単位で示しています。また気温は摂氏を用いており、氷点下の気温は100を加算した値で表されていました。

○氣象

○地理局報告

明治十六年七月一日京都時午前六時東京時午前六時十六分長崎時午前五時三十六分

摘要 [中略]

晴雨計ハ佛厘(ミリメートル)を用フ○風向ハ眞方向ヲ示ス○風力ハ配法零ヨリ六ニ至ル(〇ハ靜穩一ハ軟風二ハ和風三ハ疾風四ハ强風五ハ暴風六ハ颶風)ヲ示ス○雨量ハ前二十四時間ノ量ヲ示ス○温度ハ蔭所ニ於テ攝氏ノ度ニ從フ(氷㸃ハ〇 氷㸃上ノ十及二十ハ一〇、二〇氷㸃下ノ十及二十ハ九〇、八〇)

明治33年発刊の『氣候學』では陸上の風力階級は以下のようになっていました。明治26年10月以降、風力5の名称が"暴風"から"烈風"に変わりました。

第三章 氣壓及風

第三節 風

風力ハ又風速󠄁度ト稱シ、通󠄁常尺度ヲ以テ之ヲ示ス。即チ一秒時ニ對スル速󠄁力ヲ、米ヲ以テ表ハスモノナリ。而シテ之ヲ表示スルニ用ユル階級ハ、種々アリト雖モ、本邦ニ於テハ之ヲ左ノ六種ニ區別ス。

階級名稱速󠄁度(一秒時速󠄁)說明
靜穩〇、〇―一、五煙󠄁直︁昇シ樹葉動カザル風
軟風一、五―三、四風アルコトヲ感ズル位ノ風
和風三、五―五、九樹葉ヲ動ス程󠄁の風
疾風六、〇―九、九樹ノ小枝ヲ動搖スル位ノ風
强風一〇、〇―一四、九樹ノ大枝ヲ動搖スル位ノ風
烈風一五、〇―二八、九大樹ノ幹ヲ動カス位ノ風
颶風二九、〇―以上樹ヲ拔キ家ヲ倒ス程󠄁ノ大風

この風力階級は昭和22年頃まで使われていました。なお、『氣候學』の著者である上野英三郎氏は忠犬ハチ公の飼い主としても知られています。

御柳梅と河津桜

カワヅザクラ ギョリュウバイ

ここ3日の暖かさで御柳梅や河津桜が見頃になってきました。御柳梅はフトモモ科ネズモドキ属の常緑低木で、バラ科である梅とは無関係です。河津桜は大島桜と寒緋桜の交配種です。

【参考文献】
宮沢清治: "用語解説 春一番", 天気, 21, p.14 (1974)
上野英三郎『氣候學』興文社(明治33年5月)
內務省地理局氣象臺: "地理局報告", 官報第1號, pp.11-12 (明治16年7月1日)
中央氣象臺: "全國氣象", 官報第3081號, p.35 (明治26年10月4日)
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