東京消防庁の初期型マンホール
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昭和7年(1932年)10月1日に世田谷町、駒澤町、松澤村、玉川村が合併して世田谷區が誕生しました。このとき飛地が整理され、基本的には各町村の大字を踏襲する形で町名・町域が制定されました。松澤村大字松原の大半は世田谷區松原町一丁目~四丁目になりました。
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大正14年 (1925年) 10月1日に荏原郡駒澤村が町制を施行して駒澤町になりました。これと同時に大字上馬引澤と下馬引澤の引澤が省略され、大字上馬と下馬になりました。駒澤町は昭和7年10月1日の世田谷區誕生までの7年間だけ存在しましたが、駒沢2丁目地内に「駒澤町上馬九九八番地」の表札が残っています。
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豪徳寺1丁目と宮坂2丁目の滝坂道は平成19年度に世田谷区の地域風景資産に認定されています。滝坂道を紹介する掲示板が豪徳寺1丁目の地蔵堂の近くに設置されています。
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東京市電角筈線と分かれた蟹川は、現在の歌舞伎町内の花道通りを流れ、山手線等の線路下を横断していました。横断部の歌舞伎町側にボックスカルバート埋設碑が2020年まで建っていました。
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大正3年 (1914) 5月7日に東京市電角筈線東大久保~角筈 (新宿) 間が専用軌道で開業し、途中に天神前、前田甫、新田裏、北裏通の電停が設けられました。天神前~新田裏間は蟹川に沿っていました。
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