東京消防庁の初期型マンホール

上野寛永寺 マンホール

昭和23年3月7日に内務省警視󠄁廳消防部が東京消防本部として分離独立し、同年5月1日に東京消防廳に改称されました。上野の東叡山円頓院寛永寺清水観音堂の前に「東京消防廳」の鉄蓋が残っています。

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松原町の逓信省境界標

旧町名

昭和7年(1932年)10月1日に世田谷町、駒澤町、松澤村、玉川村が合併して世田谷區が誕生しました。このとき飛地が整理され、基本的には各町村の大字を踏襲する形で町名・町域が制定されました。松澤村大字松原の大半は世田谷區松原町一丁目~四丁目になりました。

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千住の江戸川上水町村組合水止栓

紋章

足立区は昭和7年(1932年)10月1日に南足立郡千住町、西新井町、梅島町、江北村、舎人村、渕江村、伊興村、東渕江村、綾瀬村、花畑村の3町7村の区域をもって発足した区です。このうち千住町だけが江戸川上水町村組合に参加していたので、足立区千住地域には今でも当時の水止栓が幾つか残っています。

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小川町3丁目の看板建築と阻水弇

広場

靖国通りの北側にある千代田区立小川広場は小川小学校の跡地を利用した広場です。小川小学校は明治33年5月1日に東京市小川尋常小學校として開校しました。そして、1993年4月1日に錦華小学校、西神田小学校との統廃合によりお茶の水小学校が開校し、小川小学校は廃校になりました。

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駒澤町大字上馬

旧町名

大正14年 (1925年) 10月1日に荏原郡駒澤村が町制を施行して駒澤町になりました。これと同時に大字上馬引澤と下馬引澤の引澤が省略され、大字上馬と下馬になりました。駒澤町は昭和7年10月1日の世田谷區誕生までの7年間だけ存在しましたが、駒沢2丁目地内に「駒澤町上馬九九八番地」の表札が残っています。

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滝坂道と日本水道の水道章標

掲示板 風景

豪徳寺1丁目と宮坂2丁目の滝坂道は平成19年度に世田谷区の地域風景資産に認定されています。滝坂道を紹介する掲示板が豪徳寺1丁目の地蔵堂の近くに設置されています。

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三軒茶屋の電気通信省境界標

風景 境界標

昭和24年6月1日に逓信省が郵電分離で電氣通󠄁信省と郵政省に分割されました。世田谷区太子堂4丁目の世田谷通り沿いにあるNTT世田谷ビルに「電氣通󠄁信省用地」と刻印された境界標が建っています。

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蟹川源流と東京府のマンホール

風景 埋設碑

東京市電角筈線と分かれた蟹川は、現在の歌舞伎町内の花道通りを流れ、山手線等の線路下を横断していました。横断部の歌舞伎町側にボックスカルバート埋設碑が2020年まで建っていました。

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東京市電角筈線の専用軌道跡

地図 路線図

大正3年 (1914) 5月7日に東京市電角筈線東大久保~角筈 (新宿) 間が専用軌道で開業し、途中に天神前、前田甫、新田裏、北裏通の電停が設けられました。天神前~新田裏間は蟹川に沿っていました。

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札の辻の東京市電気局のマンホール

札の辻

第一京浜(国道15号、東京都市計画道路幹線街路放射第19号線)、三田通り(東京都道301号白山祝田田町線、東京都市計画道路幹線街路放射第21号線)、東京都道409号日比谷芝浦線(東京都市計画道路幹線街路補助線街路第147号線)が交わる札の辻交差点に東京市電氣局のマンホールが残っています。

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