下谷区の痕跡【現存建物篇】
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大正14年 (1925年) 10月1日に荏原郡駒澤村が町制を施行して駒澤町になりました。これと同時に大字上馬引澤と下馬引澤の引澤が省略され、大字上馬と下馬になりました。駒澤町は昭和7年10月1日の世田谷區誕生までの7年間だけ存在しましたが、駒沢2丁目地内に「駒澤町上馬九九八番地」の表札が残っています。
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大正3年 (1914) 5月7日に東京市電角筈線東大久保~角筈 (新宿) 間が専用軌道で開業し、途中に天神前、前田甫、新田裏、北裏通の電停が設けられました。天神前~新田裏間は蟹川に沿っていました。
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大正2年12月29日の東京市電角筈線若松町~東大久保の開業時に市ヶ谷河田町電停が設けられました。大正11年2月20日に廃止、昭和8年に河田町として復活、昭和45年3月27日に廃止されました。
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玉電ビルは鉄骨鉄筋コンクリート造地上7階・地下2階で計画されました。しかし戦時体制の強化に伴い、地上4階、地下2階と規模を縮小し、昭和13年 (1938年) 12月に竣工しました。
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