下谷区の痕跡【現存建物篇】

標高地形図

下谷區は明治11年(1878年)11月2日から昭和22年(1947年)3月15日の台東区新設まで存在していた区で、台東区の西半分に位置していました。下谷の地名は舌状台地である上野台地に対する低地であることに由来しています。本郷台地との間には古石神井川(谷田川)によって谷が形成され、その出口に不忍池があります。

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駒澤町大字上馬

旧町名

大正14年 (1925年) 10月1日に荏原郡駒澤村が町制を施行して駒澤町になりました。これと同時に大字上馬引澤と下馬引澤の引澤が省略され、大字上馬と下馬になりました。駒澤町は昭和7年10月1日の世田谷區誕生までの7年間だけ存在しましたが、駒沢2丁目地内に「駒澤町上馬九九八番地」の表札が残っています。

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駒澤村大字世田ヶ谷新町

旧町名

明治22年 (1889年) 5月1日の町村制施行に伴い、下馬引澤村、上馬引澤村、野澤村、世田ヶ谷新町村の全域と深澤村、世田ヶ谷村、弦巻村、下野毛村の一部をもって駒澤村が誕生しました。世田谷区新町2丁目にある家岳山善養院の本堂の脇に「東京府荏󠄂原郡駒澤村大字世田ヶ谷新町」の表札が残っています。

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東京市電角筈線の専用軌道跡

地図 路線図

大正3年 (1914) 5月7日に東京市電角筈線東大久保~角筈 (新宿) 間が専用軌道で開業し、途中に天神前、前田甫、新田裏、北裏通の電停が設けられました。天神前~新田裏間は蟹川に沿っていました。

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市ヶ谷河田町

旧町名 路線図

大正2年12月29日の東京市電角筈線若松町~東大久保の開業時に市ヶ谷河田町電停が設けられました。大正11年2月20日に廃止、昭和8年に河田町として復活、昭和45年3月27日に廃止されました。

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六本木と南青山の東京市電気局の痕跡

路線図

六本木交差点で外苑東通り(東京都道319号環状三号線支線・東京都市計画道路幹線街路補助線街路第4号線)と六本木通り(東京都道412号霞ヶ関渋谷線・東京都市計画道路幹線街路放射第22号線)が交わっています。かつて、ここには東京市電氣局の六本木線霞町線が交差する六本木電停がありました。

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牛込区原町

旧町名 駅舎

大江戸線牛込柳町駅の西側に広がる新宿区原町はかつて牛込󠄁區で、住居表示未実施のため番地も当時のままです。「牛込區原町三丁目八十二畨地」の表札が月海山法身寺の門柱に残っています。

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玉電宮ノ坂駅

地図 駅跡

大正14年 (1925年) 5月1日の玉川電氣鐵道下高井戸線の世田谷-下高井戸間の開業時に、滝坂道(東京府道23号調布澁谷線)と東京府道69号代々幡溝口線が交差する箇所に宮ノ坂駅が設けられました。

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高輪橋架道橋【鉄道開業150周年記念】

※ 本記事は高輪ゲートウェイ駅開業前の2019年5~6月の状況を元にしたもので、現況とは異なります。

広重

150年前の明治5年9月12日 (1872年10月14日)、日本で初めての鉄道が新橋~横濵間で正式に開業しました。その4ヶ月前の明治5年5月7日 (1872年6月12日) に品川駅~横濵駅間で仮開業していましたが、新橋-品川間は海上を築堤で通したため、開業がずれ込んでしまいました。

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玉電ビル、解体へ

模型 玉電ビル

玉電ビルは鉄骨鉄筋コンクリート造地上7階・地下2階で計画されました。しかし戦時体制の強化に伴い、地上4階、地下2階と規模を縮小し、昭和13年 (1938年) 12月に竣工しました。

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