下谷区の痕跡【現存建物篇】

標高地形図

下谷區は明治11年(1878年)11月2日から昭和22年(1947年)3月15日の台東区新設まで存在していた区で、台東区の西半分に位置していました。下谷の地名は舌状台地である上野台地に対する低地であることに由来しています。本郷台地との間には古石神井川(谷田川)によって谷が形成され、その出口に不忍池があります。

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滝坂道 大石橋の日本廻国供養之石塔

府道

東京府道43號世田谷代々幡線と滝坂道(東京府道23號調布澁谷線)が合流する地点は、昭和40年9月15日の住居表示実施で三宿2丁目に編入されるまでは旧代田村の飛地である下代田町字山下に属していました。このため、周辺には代田村の痕跡が幾つか残っています。

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蟹川源流と東京府のマンホール

風景 埋設碑

東京市電角筈線と分かれた蟹川は、現在の歌舞伎町内の花道通りを流れ、山手線等の線路下を横断していました。横断部の歌舞伎町側にボックスカルバート埋設碑が2020年まで建っていました。

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東京市電角筈線の専用軌道跡

地図 路線図

大正3年 (1914) 5月7日に東京市電角筈線東大久保~角筈 (新宿) 間が専用軌道で開業し、途中に天神前、前田甫、新田裏、北裏通の電停が設けられました。天神前~新田裏間は蟹川に沿っていました。

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東京市の混凝土製弁蓋と狸橋

古川 橋

狸橋は古川(二級河川古川水系本流)最上流の橋で、天現寺橋の下流に架かっています。現在の橋は1978年9月に竣工し、同時に橋の南詰に由来碑が建立されました。

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丸石ビルディングと龍閑川

丸石ビルディング

千代田区神田鍛冶町1丁目の龍閑川に架かっていた今川橋北詰に近世ロマネスク様式の丸石ビルディングが建っています。このビルはSRC造地上6階・地下1階の大洋ビルディングとして昭和6年 (1931年) 3月に竣工し、昭和8年に奥のアーチ3つ分が増築されました。建物は株式会社大洋商会が所有・管理しています。

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浜町川のバラック建築

地図

浜町川は千代田区岩本町3丁目付近で神田川から分流し、清洲橋下流付近で隅田川に合流していた川幅15mの河川でした。元和年間 (1615~1623年) に隅田川側から開削されていき、元禄4年 (1691年) の龍閑川開削によりL字型の流路になりました。明治16年 (1883年) に龍閑川接続点から神田川まで開削されました。

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三田用水 駒場橋の石橋供養塔

駒場橋

駒場橋は滝坂道が三田用水を渡る橋です。三田用水は目黒川水系と渋谷川水系の分水嶺に当たる尾根を通っていますので、橋の両側は急勾配の下り坂になっています。この橋跡に見える角型の鉄蓋は、三田用水が暗渠化されたときに設けられた点検口と考えられます。

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目黒川旧流路と品川町の雨水枡

古地図

目黒川(二級河川・目黒川水系本流)の河口付近では、大正15年(1926年)から昭和3年(1928年)にかけて目黑川改修工事が行われ、流路が付け替えられました。國道1號(現: 第一京浜・国道15号)に架かる東海橋より下流の旧流路は荏原神社の北側を通り、旧東海道の品川橋のすぐ下流に架かる新品川橋付近で北に折れ曲がっていました。

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都営バス渋谷営業所と渋谷町水道止水栓

都営バス渋谷営業所 都営バス渋谷営業所

明治通り(東京都道305号芝新宿王子線・東京都市計画道路幹線街路環状第5号線)から渋谷川(二級河川・古川水系本流)に架かる氷川橋か上智橋を渡ると都営バス渋谷自動車営業所があります。

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