世田谷郵便局の西進

ポスト 地図

"東京の2桁市内局番【4】" で簡単に触れましたが、世田谷郵便局は大山道に沿って数回移転しています。大正15年の1万分の1地形図にその状況を⓪~⑥で記しました。⑥が現在の所在地です。

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東京の2桁市内局番【9】

旧町名

(承前) 昭和31年(1956年)7月27日に初めての3桁市内局番である"328"が松沢局で始まり、以後新規開局や増設で付与される局番はすべて3桁になりました。このため、これ以降に東京市内区域に編入した北町局と戦災復旧した墨田局には3桁局番が付与されました。

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松原町の逓信省境界標

旧町名

昭和7年(1932年)10月1日に世田谷町、駒澤町、松澤村、玉川村が合併して世田谷區が誕生しました。このとき飛地が整理され、基本的には各町村の大字を踏襲する形で町名・町域が制定されました。松澤村大字松原の大半は世田谷區松原町一丁目~四丁目になりました。

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東京の2桁市内局番【5】

加入区域図

(承前) 昭和7年(1932年)10月1日、東京市は隣接5郡82町村を編入し15区を35区にしました。昭和11年10月1日に北多摩郡千歳村と砧村を世田谷區に編入し、東京市の市域が現在の東京都区部の範囲に拡大しました。ところが、編入された新市域にある電話局の東京市内への編入は市域拡大とは同時ではありませんでした。

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東京の2桁市内局番【4】

電話局

(承前) 東京市に隣接していた荏原郡・豐多摩郡・北豐島郡・南足立郡・南葛飾郡(隣接5郡)では、明治39年開局の池上電話局を皮切りに、郵便局に併設される形で特設電話規則(明治38年4月20日遞信省令第34號、同年5月1日施行)に基づく電話局が26局設置されました。

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東京の2桁市内局番【3】

電話区画図

(承前) 大正14年度以降、震災復興と市内通話の自働交換化が推し進められるようになりました。その端緒となるのが自働式交換機を設置した京橋分局の復旧で、大正15年1月20日に運用開始となりました。これに伴い、2桁の市内局番と4桁の加入番号を組み合わせた電話番号 CD-FGHJ が使われるようになりました。

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千住元町にあった東京電燈の銘板

銭湯建築 解説

昭和4年10月、現在の足立区千住元町3-9の地で子宝湯が開業しました。入口上部に唐破風のある宮造り建築で、昭和63年に廃業後、江戸東京たてもの園に移築されました。

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下谷区の痕跡【移築建物篇】

下谷區社会事業協会銘板

(承前) 下谷區内にあった下谷消防署の望楼上部、村上精華堂、鍵屋が東京都立小金井公園の江戸東京たてもの園に移築されています。このうち、下谷消防署は昭和50年4月1日に上野消防署と改称しましたが、明治44年(1911年)の第5消防署庁舎落成以来、現在地である北稻荷町43番地(→東上野5丁目)にあります。

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下谷区の痕跡【現存建物篇】

標高地形図

下谷區は明治11年(1878年)11月2日から昭和22年(1947年)3月15日の台東区新設まで存在していた区で、台東区の西半分に位置していました。下谷の地名は舌状台地である上野台地に対する低地であることに由来しています。本郷台地との間には古石神井川(谷田川)によって谷が形成され、その出口に不忍池があります。

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東京市地番整理要項

地番方式

関東大震災後の復興事業による土地区画整理が施行された東京市内の地区では、町域や町名、地番の整理も行われました。これに先立ち東京市は地番整理の権原を有する大藏省と協議し承認を得て、昭和3年12月1日に"東京市地番整理要項"を制定しました。

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